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日本・バングラデシュ交流メールマガジン(第 7号・2004/05/13) ?日本とバングラデシュの橋渡しのために?
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□ 目次 □
【1】堀口大使メッセージ「バングラデシュ開発フォーラムに出席して」
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●ラロン・シャー橋(パクシー橋)開通式典(5月18日・ラロン・シャー橋)
●バングラデシュ医療事情講演会(5月22日・ダッカ)
●アジアの写真家たち2004・バングラデシュ(5月18日〜6月17日・東京)
[これまで]
●バングラデシュ開発フォーラム(5月8〜10日・ダッカ)
●民間セクター開発セミナー(5月2日・ダッカ)
●日本ビジネス哲学セミナー(5月1日・ダッカ)
【3】駐バングラデシュ歴代大使の証言・第2回(第6代大使:田中義具氏)
「バングラデシュの対日配慮―チョウドリ外相の思い出」
【4】バングラデシュ名所案内・第3回「カウランバザール訪問」
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【1】堀口大使メッセージ「バングラデシュ開発フォーラムに出席して」
5月8日から10日までバングラデシュ開発フォーラム(BDF)がショナルガオン・ホテルで開催されました。
昨年のBDFは着任してから1週間後の出席であったため、暫定貧困削減戦略文書(I-PRSP)と対処方針だけを読んで臨まなければなりませんでした。今年のBDFについては、過去1年間「バングラデシュ・モデル」の下で、大使館の経済協力班、JICA、JBIC、JETROをはじめとする関係者全員が、農村開発、電力、教育、保健など10のセクターに分かれ、現場での経験を踏まえつつ、何度も議論を重ねながら最終的な対処方針を作成しました。
幸い議論の節目節目で話を聞くことができたため、対処方針の一語一語、そのニュアンスについて、問題によっては何故そのような表現が望ましいかを熱心に主張した専門家の表情などを思い出しながら、十分理解することができました。
こうして万全の準備をもって臨んだBDFにおいて、7つの議題のすべてについて、しかも中味のある発言をしたのは日本だけでした。その甲斐もあってBDF最終日、パテル世界銀行副総裁の総括の中で、経済成長・貧困削減の効果の高い海外直接投資(FDI)誘致のため、バングラデシュ政府が緊急かつ政治的意思をもって阻害要因解決に取り組むよう求めた日本の発言が引用されました。
日本の果たした貢献については、同世界銀行副総裁だけではなく、サイフル・ラーマン大蔵大臣、国連食糧農業機関(FAO)などの国際機関や他のドナー諸国からも直接高い評価を受けました。大蔵大臣はディナーの席で隣に座った私に、日本がバングラデシュの多くの問題について関心を持ち積極的に発言していることを評価する旨述べていました。
これらの評価は「バングラデシュ・モデル」メンバーの全員の活躍に対するものであり、さらにウェブサイトやメーリングリストを通してバングラデシュの開発問題に大きな関心を寄せて頂いている皆様のおかげであると感謝しています。
今回のBDFに関する報道ぶりを見ると、一部のドナーが法と秩序、腐敗、NGOの扱いなどの問題に関してバングラデシュ政府の対応を厳しく批判し、これに対し、大蔵大臣が内政干渉であると反発したことについて、大蔵大臣をたしなめる意見と、ナショナリスティックな立場から大蔵大臣を支持する意見が見られましたが、その両方の意見がともに、だから自助努力によって援助への依存を減らしていくべきであると結論づけていることが注目されました。
最近、IMFや一部ドナーの協力もあってバングラデシュの税収は着実に増えています。大蔵大臣もしばしば発言の中で、援助は今やGDPの2.6%に過ぎないと強調していました。ダッカの街の各所で見られる建設ラッシュ、道路を走る車の急増ぶりに見られる好景気、あるいは私立大学の急増を支える中産階級の台頭ぶりが、これらの好ましい強気の発言の背景にあるものと思われます。
日本の対バングラデシュ援助の最大目的は、この国の自助努力を助け一日も早く自立経済の実現を図ることにあります。日本のODAについて量の増加が難しくなりつつある今、バングラデシュの自立に向けてますます知的貢献が求められています。
バングラデシュ経済の発展と自立実現を目指して、「バングラデシュ・モデル」が、これからもバングラデシュ国内をはじめ各地で活躍する援助関係者の知見を結集しながら、来年のBDFに向けて新たな活動を開始することを期待しています。
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【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●ラロン・シャー橋(パクシー橋)開通式典(5月18日・ラロン・シャー橋)5月18日(火)に、今般建設を完了したラロン・シャー橋(パクシー橋)の開通式典が開催されます。ジア首相、堀口大使他が出席する予定です。
●バングラデシュ医療事情講演会(5月22日・ダッカ)
5月22日(土)午後3時から5時まで、ニームクラブと大使館の共催により、ダッカ日本人学校で、バングラデシュの医療事情についての講演会を開催します。国際保健人口研究所の我妻先生、山形ダッカ友好病院の関野看護師、大使館の松原医務官他を講師としてお招きし、バングラデシュで生活する全ての皆様の役に立つように、次の通り2部構成とする予定です。
○午後3時〜3時30分(子供向け)
「家でできるデングの蚊の撲滅対策!(蚊とボーフラの観察・モニタリングカレンダーの使い方)」「自分でできる日射病予防」
○午後3時45分〜5時(大人向け)
「バングラデシュで気をつけたい感染症」「看護師のあるべき姿:ナイチンゲールに学ぶ」「バングラデシュにおける病院事情」健康に生活するため当地の医療・保健事情を知りたい方歓迎します。出席希望者はニームクラブ世話役の杉山佳恵さんまでご連絡ください。
(電子メール:kaedondon@hotmail.com)
●アジアの写真家たち2004・バングラデシュ(5月18日〜6月17日・東京)
東京写真月間2004協賛ギャラリーによる国際展が次の通り開催されます。
○アニスル・ラーマン写真展「バングラデシュ人と暮らし」
5月18日〜6月17日の午前10時から午後5時30分まで、品川のキャノンSタワー・オープンギャラリー(港区港南2−16−5)で、バングラデシュ報道写真協会とNGOハンガー・フリー・ワールドのメンバーとして日・バングラデシュ両国で活躍する写真家のアニスル・ラーマン氏による写真が展示されます。
○「人権と現実」展
5月22〜31日の午前10時30分から午後7時まで(最終日は午後3時まで)、新宿コニカミノルタプラザC(新宿区新宿3−26−11・新宿高野ビル4階)で、ユニセフの援助を得てバングラデシュで刊行された写真集「人権と現実(Rights and Reality)」展が開催されます。
○シャヒドゥル・アラム写真展「アジアの大河・ブラマープトラ」
6月1〜7日の午前10時から午後7時まで(最終日は午後4時まで)、新宿ニコンサロン(新宿区西新宿1−6−1・新宿エルタワー28F)にて、ブラマープトラ河(バングラデシュではジャムナ河と呼ばれる)流域の自然、風物、人々の生活を叙事詩的に描写した写真が展示されます。
○バングラデシュ傑作写真展
6月3〜9日の午前10時から午後6時まで(最終日は午後5時まで、日曜休館)、アイデムフォトギャラリー「シリウス」(新宿区新宿1−4−10アイデム新宿御苑ビル2F)にて、バングラデシュを代表し国際的に活躍するシャヒドゥル・アラム氏、ロシッド・タルクダル氏、ビヨン・サルカール氏、ゴラム・ムスタファ氏の写真が展示されます。
[これまで]
●バングラデシュ開発フォーラム(5月8〜10日・ダッカ)
5月8〜10日、ショナルガオン・ホテルにて、年1回の政府と援助国・機関の対話の場である「バングラデシュ開発フォーラム」が開催されました。
http://www.lcgbangladesh.org/BDF
概要は冒頭の大使メッセージの通りです。日本からは貧困削減戦略、腐敗対策、人間の安全保障、政府とNGOの連携、人材育成、教育の質、貿易・投資環境改善、インフラ整備、日本の貢献等について席上発言しました。
http://www.lcgbangladesh.org/BDF/docs/BDF2004JPFINAL.pdf
●民間セクター開発セミナー(5月2日・ダッカ)
5月2日、ショナルガオン・ホテルにて、JICA主催による「第2回低所得・低開発国における産業振興手法分析セミナー」が開催されました。今年初めからJICAのコンサルタントがバングラデシュを対象に調査を行ってきた成果が発表されました。資料は次のウェブサイトに掲載しています。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/pdf/psdjica20040502.pdf
●日本のビジネス哲学セミナー(5月1日・ダッカ)
5月1日、ダッカ日本語教室同窓会(DAJLIAA)の主催で「バングラデシュにおける倫理的なビジネスの発展と日本のビジネス哲学」と題するビジネス・セミナーが開催され、約300人が出席しました。同窓会会長のブイヤン氏が基調講演を行い、志ネットワーク青年塾主宰の上甲晃氏、国際エンゼル協会のスタディツアーにてバングラデシュを訪問された堀内氏、木原氏、渕脇氏が発表を行いました。志ネットワーク、国際エンゼル協会のウェブサイトは次の通りです。
(PDF Documents of the Presentation)
1. Ethical Business Development In Bangladesh Following The Japanese Business Philosophy-M. Bhuiyan
2. 企業理念こそ成長の秘密-上甲晃様
3. 経営セミナー用原稿-堀内壽様
4. 我社の経営理念について-渕脇英義様
5. 企業倫理欠如への警鐘-木原伸雄様
http://www.kokorozashi.net
http://www.angel-ngo.gr.jp
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【3】駐バングラデシュ歴代大使の証言・第2回(第6代大使:田中義具氏)
「バングラデシュの対日配慮―チョウドリ外相の思い出」
日本はバングラデシュに対する最大の援助供与国でしたので、ダッカ在勤中(1985年5月〜1988年7月)の私の仕事のほとんどは経済協力にかかわる案件の処理でした。先方はこうした日本からの援助に深く感謝し、その気持ちを具体的な態度で表すために、その得意とする国連の分野においては、日本に協力することを惜しみませんでした。
当時バングラデシュは、ほとんどが開発途上国である国連のアジア・グループ内においても、非同盟グループの一員としても大きな影響力を有していました。一方日本は、まだ国連における基盤がそれほど強固ではなく、その数年前1978年の国連における選挙では、独立間もないバングラデシュと安保理の議席を争って、よもやの敗北を喫していました。
私の在勤中、日本は1986年の安保理選挙へ立候補する方針を決定しました。その結果、南アジア諸国の支援の下に同じ年安保理理事国に立候補を予定していたバングラデシュと、また争わなければならなくなりました。
本国からは、何とか今回は日本に安保理の議席を譲るよう、バングラデシュに立候補の1年延期を説得せよとの訓令がきました。そこで当時のフマイン・ラシード・チョウドリ外相を訪ね、86年の安保理選挙は日本に譲って欲しいとお願いしました。先方は、「他ならぬ日本からの要請なので検討してみる。しかしバングラデシュが86年の選挙を日本に譲って、次の年に立候補しようとすると、87年にはネパールが立候補する事で関係国間の話し合いがついている。バングラデシュが日本に86年の議席を譲るためにはネパールの説得も必要である。」と答えました。
この回答を東京へ取り次ぐと、ネパールの説得もバングラデシュに依頼せよとの訓令がきました。やや厚かましいと思いましたが、再度チョウドリ外相に会って、何とかネパールの説得もお願いしたいと依頼して帰ってきました。
その後しばらくの間何の音沙汰もありませんでした。その内に、誕生間もない南アジア地域協力連合(SAARC)の外相会議がダッカで開催されました。会議閉幕の日になって、突然チョウドリ外相から電話がありました。「今ネパールの外相が帰国するので、自分は空港まで見送りに行く。その際安保理選挙の話をするから、貴大使も空港まで来て欲しい。」という内容でした。
急いで空港へ駆けつけると、両外相は既に空港に到着していました。チョウドリ外相は早速ネパール外相に向かって安保理選挙の話をし、「バングラデシュは今年の安保理選挙を日本に譲ることにするので、ネパールも来年の立候補を1年遅らせて欲しい。そしてこの3国の立候補計画を、今後3年間にわたって3カ国が一致協力して支持していくことにしよう。」と提案しました。
こうして「ダッカ空港での3国間合意」が成立することとなりました。バングラデシュによる特別の配慮があってなお、こうした三国間取引を快く思わない一部諸国が正式には立候補していないインドに投票する動きなどがありましたが、その年の安保理選挙で日本は辛うじて当選する事ができました。
次に特別お世話になったのは、1988年の世界保健機関(WHO)事務局長選挙の時でした。日本は戦後初めて主要専門機関の事務局長ポスト確保をめざして、中島氏のWHO事務局長への立候補を推進していました。その一番の山場は、30カ国から成るWHO執行理事会での選挙にありました。
同理事会における各国の票争いは熾烈を極めていました。バングラデシュは執行理事国の一国でした。本国からは、バングラデシュの支持が不可欠との訓令がきました。通常の国連関係機関の選挙では、バングラデシュの支持は間違いありませんでした。しかしこの時は、パキスタンからも立候補者がいて中島候補と争っていたのです。
バングラデシュは、ついその10年余り前までパキスタンとは同じ国であった間柄で、両国間は特別の関係にありました。しかも当時ダッカに駐在していたコッカー・パキスタン大使は、その後駐印、駐中国大使等も歴任し、現在は外務次官として活躍中の極めて有能な外交官で、ベンガル語を解し、任国の各界に豊富な人脈を築いて、他国の外交官の追随を許さない活躍をしていました。
バングラデシュ外務省は中島候補への支持を表明していましたが、パキスタンは相当な巻き返しを行ったようでした。選挙が間近に迫った頃には、バングラデシュが最終的にはパキスタンを支持するのではないかとの情報が入ってきました。もう政府関係者は皆年末年始の休暇に入っていた時でしたが、チョウドリ外相に急遽面会を求めました。
チョウドリ外相はすぐ会ってはくれましたが、やはり調整にはかなり苦慮しているようでした。しかし日本へのコミットは守ると言ってくれました。88年初頭のWHO執行理事会での投票で、バングラデシュは中島候補に貴重な一票を投じてくれました。
チョウドリ外相にはこうして在任中色々とお世話になりましたが、それだけに止まりませんでした。
2000年2月私は久しぶりにダッカを訪問しましたが、すでに外務省は退官して、参与として軍縮問題に携わっていました。その頃日本は包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効をめざして、各国への説得工作を強化していました。南アジアではこの条約の発効要件国の3国(インド、パキスタン、バングラデシュ)がいずれも批准を見合わせていました。私の仕事は、バングラデシュにこの条約の早期批准を促す事でした。
フマイン・ラシード・チョウドリ氏は当時国会議長になっていました。ダッカの日本大使館では先方外務省との正式の会談のほかに、同議長とのアポイントも取ってくれていました。チョウドリ議長は私を喜んで迎えてくれ、私のダッカ在勤時にバングラデシュを訪問した倉成外務大臣の思い出話などをされた後、「バングラデシュとして、CTBTの批准に特別問題があるわけではない。貴方がわざわざ東京から来たのだから、自分としても出来るだけのことはしてみよう。」と言って頂きました。東京に帰ってまもなく、バングラデシュがCTBTを批准したとの公電が入りました。
チョウドリ議長はその後他界されたことを知りました。日本にとって大切な理解者の一人を失った損失は大きく、心からご冥福をお祈り申し上げます。(フマイン・ラシード・チョウドリ氏は2001年7月に他界されました。)
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【4】バングラデシュ名所案内・第3回「カウランバザール」
ダッカ市のファーム・ゲート、ショナルガオン・ホテルのすぐ近くにある「カウランバザール」は、食べることにこだわりのあるバングラデシュ人の台所を垣間見ることが出来る、お勧めの市場です。
カウランバザールは、18世紀の後半にマルワリ商人(北インド出身の商人)のカルワン・シンという人物により開かれ、19世紀の後半には陶器、焼物その他家庭用品の市場として発展しました。現在も様々な食品・生活雑貨が販売されており、魚、野菜、米の卸売市場も併設されています。
朝7時頃には、魚売りがバザール周辺の歩道までいっぱいに魚を広げ、前の道路は魚を持ち運ぶ人たちでごったがえしています。バザールの中では、ベンガル人の好むイリシュ、エビ、鯉等馴染みの魚、名前もわからない様々な魚が所狭しと並び、売る人も買う人も入り乱れてものすごい活況です。地面が水浸しで歩きづらいですが気にせず入っていくと、至近距離から興味津々といった視線を投げかける連中を押しのけるように、陽気な魚売り達が盛んに話かけてきます。
先月末に訪れた際には、残念ながら魚市場は閉まった後でしたが、隣の野菜市場の方を見ないかと声がかかり、ショポンさんという魚売りがずっと私たちを案内してくれました。
野菜市場への道すがら、茶店の店先の丸い鉄板の上で美味しそうなルーティ(小麦粉を練って焼いた薄焼きのパンのようなもの)が焼かれています。油がジュージュー音を立て、いいにおいが漂っていて、早速試してみることにしました。みんなでちょっとだけ味見してみるはずが、結局卵焼きまでつけて5枚も食べてしまいました(全部で20タカ)。食べていると早速人だかりが出来、じっと見入られてしまいます。
野菜市場はコンクリートむき出しの建物にあります。その外側にも内側にもぎっしりと野菜が山積みされています。いつの間にか数人の子供達が案内に加わっていて、これはスイカ、あれはジャガイモ、といって教えてくれます。ある一角ではレモンばかりが売られていましたが、切ってもいないのに、あたりはレモンのさわやかなにおいでいっぱいです。
最近の報道によれば、政府は首都への必需品の流通増加、価格の安定化等を達成するため、農産物卸売市場をハティルジール、トンギ、アミン・バザール、ジャットラバリ、キルガオン、ラルバーグの6カ所に新設し、カウランバザールをハティルジールに移動する計画とのことです。
大きな市場を通り抜けると、農村開発庁(BRDB)本部の前の通りに出ます。夜にはこの通りいっぱいにも店が出て、たいへんなにぎわいになります。市場を背に向こうを見ると5つ星のショナルガオン・ホテルがすぐ近くです。
ショポンさんはホテルの前まで私たちを見送り、是非又来てくれと言いました。彼に年齢を聞くと18歳未婚とのこと。「既婚か、子供はいるか」と初対面でも良く尋ねられるのに、彼が何も聞いてこないので、私の方から自分は30歳未婚だと言うと、「はっは!」と一笑。皆様、この国では女性は10代で結婚する人が多く、30歳というと一般には立派な「行き遅れ」です。彼はそんな私をかわいそうに思ったのか、その後、自分も実は30歳だと言ってくれたのでした。
(大使館広報文化班・河野秀美)
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http://www.bd.emb-japan.go.jp/
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