大使メッセージ
令和3年3月26日
バングラデシュ人民共和国が独立50周年を迎えたことに、心からお祝い申し上げます。
日本とバングラデシュの友好関係は独立以前に遡ります。1970年の東パキスタン時代に、同国でサイクロンによる甚大な被害が発生した際は、日本の人々が街頭に立ち募金活動に励みました。さらに、1971年3月26日のバングラデシュ独立後には、日本は西側諸国の中でいち早く1972年2月10日に国家承認をいたしました。
独立当時、特に日本とバングラデシュの友好に努めたのが故早川崇議員です。1972年3月に、早川議員は日本政府親善特使としてバングラデシュを訪問しました。その際早川議員は独立戦争で荒廃したバングラデシュの姿を目の当たりにしながらも、独立を勝ち取ったばかりの人々の熱気を肌で感じ、ボンゴボンドゥとともに、「黄金のベンガル」を目指した今後の国作りについて大いに語り明かしたといいます。その中で語られたジャムナ橋は、日本の支援による建設後、バングラデシュの100タカ紙幣にも描かれることとなり、日本とバングラデシュの友好の象徴となりました。また、1973年には青年海外協力隊の派遣が開始されたほか、1974年には永野重雄日本商工会議所会頭を団長とする経済使節団も派遣されました。同ミッションはチッタゴン、コックスバザール、シュンドルボン、コミラ、カプタイ、シラズゴンジそしてクルナ等、新生バングラデシュの隅々を視察し、同国に大きな将来性を見出しました。まさに日本は独立当初から、官民一体となって、草の根の支援から、人材育成、インフラ建設まで、様々な分野でバングラデシュの発展に尽力してきました。この50年ボンゴボンドゥの夢見た「黄金のベンガル」の実現に向けて、日本は常にバングラデシュに寄り添い、共に歩みを進めてきたのです。
その歩みは、現在のコロナ禍においても決して衰えることはありません。昨年8月には、新型コロナウイルス感染拡大を受けたバングラデシュ政府への緊急財政支援350億円(約3.3億米ドル)に加え、医療機材の整備支援、国際機関を通じた緊急支援を実施いたしました。さらに同月、バングラデシュに対しては過去最大となる3,380億円(約32億米ドル)の年次円借款への調印が行われ、独立50周年の節目となる本年からは、BIG-Bの推進のためのJICAによる大型インフラプロジェクトが次々と完成を迎えます。ダッカ都市高速鉄道(MRT)6号線が本年12月には一部開通し、その後もアライハザール経済特区、ダッカ国際空港(ハズラット・シャージャラール国際空港)の拡張、マタバリ深海港及び発電所、更にはボンゴボンドゥ鉄道橋の完成と続いていきます。
これらのプロジェクトの完成はバングラデシュの姿を一変させ、その安定と繁栄に大きく資するものです。バングラデシュはまた一歩「黄金のベンガル」の実現へと近づくこととなります。バングラデシュは2026年には後発開発途上国(LDC)を卒業し、2041年には「ビジョン2041」を実現させ先進国入りすることを目指しています。さらに、インドとASEANの結節点に位置するバングラデシュの安定と繁栄は、インド・太平洋地域全体の安定と繁栄にとって極めて大きな重要性を持ちます。地域的な協力やグローバルな枠組みの中で、バングラデシュが果たす役割はより一層大きくなることが期待されています。そのような中、現在のバングラデシュによるミャンマーからの「ロヒンギャ」避難民の受け入れ、そして同国への避難民の早期帰還に向けた取り組みは、評価に値します。日本もそのための支援を惜しみません。日本は最大の開発パートナーとして、引き続きバングラデシュの発展を支援し地域の連結性を高め、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けバングラデシュと緊密に協力していく考えです。
明年、2022年は日本とバングラデシュの外交関係樹立50周年を迎えます。この節目の年に向かい、二国間関係を更に強化していくため、貿易・投資の一層の促進に向けたビジネス環境の改善、相互理解の一層の深化や人的交流の拡大に、バングラデシュの政府や皆さまとともに尽力していく考えです。
最後に、両国の繁栄と両国国民の友好関係の益々の発展を祈念し、バングラデシュ独立50周年のお祝いのメッセージとさせて頂きます。
2021年3月26日
駐バングラデシュ日本国特命全権大使
伊藤 直樹
日本とバングラデシュの友好関係は独立以前に遡ります。1970年の東パキスタン時代に、同国でサイクロンによる甚大な被害が発生した際は、日本の人々が街頭に立ち募金活動に励みました。さらに、1971年3月26日のバングラデシュ独立後には、日本は西側諸国の中でいち早く1972年2月10日に国家承認をいたしました。
独立当時、特に日本とバングラデシュの友好に努めたのが故早川崇議員です。1972年3月に、早川議員は日本政府親善特使としてバングラデシュを訪問しました。その際早川議員は独立戦争で荒廃したバングラデシュの姿を目の当たりにしながらも、独立を勝ち取ったばかりの人々の熱気を肌で感じ、ボンゴボンドゥとともに、「黄金のベンガル」を目指した今後の国作りについて大いに語り明かしたといいます。その中で語られたジャムナ橋は、日本の支援による建設後、バングラデシュの100タカ紙幣にも描かれることとなり、日本とバングラデシュの友好の象徴となりました。また、1973年には青年海外協力隊の派遣が開始されたほか、1974年には永野重雄日本商工会議所会頭を団長とする経済使節団も派遣されました。同ミッションはチッタゴン、コックスバザール、シュンドルボン、コミラ、カプタイ、シラズゴンジそしてクルナ等、新生バングラデシュの隅々を視察し、同国に大きな将来性を見出しました。まさに日本は独立当初から、官民一体となって、草の根の支援から、人材育成、インフラ建設まで、様々な分野でバングラデシュの発展に尽力してきました。この50年ボンゴボンドゥの夢見た「黄金のベンガル」の実現に向けて、日本は常にバングラデシュに寄り添い、共に歩みを進めてきたのです。
その歩みは、現在のコロナ禍においても決して衰えることはありません。昨年8月には、新型コロナウイルス感染拡大を受けたバングラデシュ政府への緊急財政支援350億円(約3.3億米ドル)に加え、医療機材の整備支援、国際機関を通じた緊急支援を実施いたしました。さらに同月、バングラデシュに対しては過去最大となる3,380億円(約32億米ドル)の年次円借款への調印が行われ、独立50周年の節目となる本年からは、BIG-Bの推進のためのJICAによる大型インフラプロジェクトが次々と完成を迎えます。ダッカ都市高速鉄道(MRT)6号線が本年12月には一部開通し、その後もアライハザール経済特区、ダッカ国際空港(ハズラット・シャージャラール国際空港)の拡張、マタバリ深海港及び発電所、更にはボンゴボンドゥ鉄道橋の完成と続いていきます。
これらのプロジェクトの完成はバングラデシュの姿を一変させ、その安定と繁栄に大きく資するものです。バングラデシュはまた一歩「黄金のベンガル」の実現へと近づくこととなります。バングラデシュは2026年には後発開発途上国(LDC)を卒業し、2041年には「ビジョン2041」を実現させ先進国入りすることを目指しています。さらに、インドとASEANの結節点に位置するバングラデシュの安定と繁栄は、インド・太平洋地域全体の安定と繁栄にとって極めて大きな重要性を持ちます。地域的な協力やグローバルな枠組みの中で、バングラデシュが果たす役割はより一層大きくなることが期待されています。そのような中、現在のバングラデシュによるミャンマーからの「ロヒンギャ」避難民の受け入れ、そして同国への避難民の早期帰還に向けた取り組みは、評価に値します。日本もそのための支援を惜しみません。日本は最大の開発パートナーとして、引き続きバングラデシュの発展を支援し地域の連結性を高め、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けバングラデシュと緊密に協力していく考えです。
明年、2022年は日本とバングラデシュの外交関係樹立50周年を迎えます。この節目の年に向かい、二国間関係を更に強化していくため、貿易・投資の一層の促進に向けたビジネス環境の改善、相互理解の一層の深化や人的交流の拡大に、バングラデシュの政府や皆さまとともに尽力していく考えです。
最後に、両国の繁栄と両国国民の友好関係の益々の発展を祈念し、バングラデシュ独立50周年のお祝いのメッセージとさせて頂きます。
2021年3月26日
駐バングラデシュ日本国特命全権大使
伊藤 直樹