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日本語の最新号及びバックナンバー


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    日本・バングラデシュ交流メールマガジン(第32号・2005/5/8)
        ―日本とバングラデシュの橋渡しのために―
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□ 目次 □

【1】堀口大使政策講演会「日本・バングラデシュ関係の更なる前進へ」

【2】堀口大使メッセージ「チッタゴン丘陵地帯への出張(I)」

【3】最近の日本・バングラデシュ関係

[これから]
●日本研究センター学位授与式(5月12日・ダッカ)
●教育セクター勉強会(5月19日・ダッカ)

[これまで]
●ダッカ・シシュ病院サラセミアセンター開所式(5月8日・ダッカ)
●日バ外相会談(4月21日・ジャカルタ)

【4】特別寄稿「JBCCIの思川(おもいがわ)」
(伊藤忠商事ダッカ事務所長、JBCCI副会頭、日本人会副会長兼日本人学校運
営委員長 上野 日出雄)

【5】バングラデシュ案内・第25回「バングラデシュのテレビ局」


【1】堀口大使政策講演会「日本・バングラデシュ関係の更なる前進へ」

(5月4日(水)、ダッカ市内のナショナルプレスクラブにおいて、堀口大使 は「日本・バングラデシュ関係の更なる前進へ」と題して講演会を行いまし た。主要点は次の通りです。)

昨年行ったスピーチでは、バングラデシュには勤勉な国民、企業家精神溢れる 企業家群、優れたエリートがおり、開発への大きなポテンシャルがあること、 これを活かして発展するためには政党間の小異を捨て、国家発展の大同につい て欲しいことなどを話しました。

そのスピーチの後、バングラデシュ国内では、治安が危険な状況にまで悪化し ましたが、最近になって大きく改善したことは喜ばしく思います。しかし、今 後ともバングラデシュ政府が未解決の事件の捜査を徹底するとともに、今まで に逮捕された容疑者が適正な手続きに沿って裁判に付されることを求めます。

バングラデシュ経済は着実な発展を遂げています。ここ数年、ダッカでは建設 ラッシュが続いており、SAARC首脳会議の準備の一環として美化計画も進みま した。全国の道路・橋梁の整備が着実に進んだことも大きな成果です。他方、 多国間繊維取極が失効した今、国際市場における競争力の強化や輸出品目の多 角化がバングラデシュにとって喫緊の課題です。このためには、海外直接投資 (FDI)誘致が最も効果的な解決策であり、そのために不可欠なインフラの整 備等が必要です。

バングラデシュにとっての大きな変化は、南アジア地域に対する世界的な関心 の高まりです。日本も、南アジアとの関係を深めつつあります。バングラデ シュは、新たに発展しつつあるインドと、既に発展の軌道に乗ったASEANを含 む東アジアとの間という有利な位置にあり、南アジアへの関心の高まりを自ら の国家発展に十全に活かすためのビジョンを作成し、具体的な措置を取るべき 時が来ています。

バングラデシュが飛躍的発展を実現する上で最も求められているのは、ガバナ ンスの改善です。バングラデシュ政府が作成した貧困削減戦略文書案も、ガバ ナンスを最重要課題の一つとして位置づけています。日本の対バングラデシュ 国別援助計画でもガバナンスの改善を一つの柱として掲げる方向です。例え ば、警察の強化・改善のため有意義な貢献を行いたいと考えています。

この関連で、バングラデシュの大きな課題としてハルタルの問題があります。 ハルタルは発展を阻害し、FDIを阻害しています。表現・集会の自由が他人の 財産権・労働権を侵害している事態は是正すべきであり、必要なら、法的規制 を検討すべきと考えます。

経済面では、日本は、貿易投資関係の拡大、特にバングラデシュへの海外直接 投資の誘致、そのためのインフラ整備に協力していきます。最近の例を挙げる と、日本は、チッタゴンやシレット地域の地方道路整備、アシュガンジ発電所 改修、ルプシャ橋建設、パドマ橋建設について財政面その他の協力を行いまし た。更に、具体的な貿易投資阻害要因を一つ一つ取り除くことに力を注いでい きたいと考えています。

本年秋に向けての世界的に重要な課題は国連改革です。この中で一つの核とな るのは安保理改革であり、日本は常任理事国となるべく努力しています。日本 は国連関連予算や政府開発援助において大きな貢献を行っているだけでなく、 今日の脅威に対処するためのグローバルな努力において、世界各地で積極的に 活動しています。こうした努力を認め、約90カ国が日本の常任理事国入りを支 持しており、バングラデシュも確固たる支持を表明してくれています。日本が 常任理事国入りすれば、バングラデシュ、国連、そして国際社会全体にとって も利益になります。

以上述べたような両国の関係を強化し両国の協力に更なるモメンタムを与える のは、日本とバングラデシュ間の人的交流と対話の拡大です。日本は、政府及 び民間双方のレベルでバングラデシュとの協力関係を築いてきました。現在ま でに、7000名を超えるバングラデシュの若者が日本で勉強や研修をしており、 彼らはバングラデシュに戻った後、あらゆる分野で活躍しています。今年の両 国間の要人の往来のうち最も重要なものは、本年夏に期待されているカレダ・ ジア首相の訪日です。このような人的交流と対話を通じて、両国間の相互理解 と信頼が深まることを期待しています。日本とバングラデシュがより緊密な協 力関係を築くことは、両国のみならず世界の利益となると確信しています。
(英語全文)

http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/sp_npc040505.html
(日本語全文)
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/sp_npc040505_j.pdf

(この機会に、堀口大使のバングラデシュに関する主要講演、エッセイ等を取 りまとめた英語の小冊子「日本とバングラデシュの橋渡しのために」を作成、 配布しました。)
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/eBulletin/pdf/makingabridge.pdf


【2】堀口大使メッセージ「チッタゴン丘陵地帯への出張(I)」

4月19日から22日までチッタゴン丘陵地帯(CHT)のボンドルボンとランガマ ティに、日本がFAOを通じて行っている農村開発事業とUNDPの活動状況を視察 するため出張する機会がありました。美しい自然との出会いや素朴で心温かい 人々との話などを通して多くのことを知ることができました。

出張の感想を述べる前に、CHTの歴史を「バングラペディア」に沿って簡単に ご紹介します。

CHTでは古くからアラカン族とトリプラ族が覇権を争ってきましたが、アラカ ン王国が1575年から1666年まで栄えた後、ムガール帝国が支配の手をのばしま すが、1760年に英東インド会社に割譲され、1860年に英の支配下に入り、その 後、1947年にパキスタンの、そして1971年にバングラデシュの一部になりまし た。

「支配者」は変わっても土地の人々の生活には殆ど影響はなかったものと思わ れますが、最初の大きな変化は、1960年にカプタイ水力発電所を作るため、川 をせき止めてカプタイ湖ができたことでした。この過程で農地の40%が水に沈 み、10万人のチャクマ族が難民となってインドに逃れました。土地の人々はこ の時政府が、失われた農地の補償も、生活の保障もしなかったことで、政府に 対する強い不満と不信を抱きました。

1971年バングラデシュの建国と共に、CHTの人々は新政府にCHTの文化的、言語 的同一性を維持すべく自治を求めましたが、新政府は同意しませんでした。こ のため土地の人々は、自治政府を作り1975年には武装組織を作って闘争を始め ました。1977年、バングラデシュ軍が待ち伏せで大きな被害を受けたことを きっかけに、政府はCHT全土に軍を駐屯させ武装組織の掃討に乗り出しまし た。

この軍事行動は、同時に進行していたベンガル人のCHTへの入植と併せ見る必 要があります。CHTの人口におけるベンガル人の割合は、英植民地時代は取る に足らないものでしたが、1974年には11.6%になり、1970年代に政府がベンガ ル人の入植政策を推進した結果、1991年までには48.5%に増え、現在は50%を 軽く上回っています。

CHTに元からいた人々は、1990年代から、CHTの13の部族を糾合しジュマ民族主 義を掲げてベンガル人との平等と文化的独自性に対する憲法上の保障を求める 運動を開始しました。そして困難な交渉を経て、1997年当時のアワミ連盟政権 と平和協定の締結にこぎ着けました。

平和協定は、政府がCHTの人々に特別の地位を与えて自治権を認めるととも に、土地の人々から奪われた土地について、所有権が確認されれば返還するこ とを約束していました。

この平和協定は土地の人々に大きな希望を与えるものでしたが、2001年にBNP 政権が登場すると平和協定の履行に消極的になり、このため土地の人々は再び 不安な状況に置かれることになりました。

次回は、このようなCHTにおける今回の出張で得た感想をご紹介します。


【3】最近の日本・バングラデシュ関係

[これから]
●日本研究センター学位授与式(5月12日・ダッカ)

5月12日(木)午前11時より、ダッカ市内のシェラトンホテルにおいて、日本 研究センター学位授与式が行われます。その後、「日本、南アジアと国連」と 題したセミナーを開催する予定です。

同センターはバングラデシュ国内で唯一日本研究を専門とする研究所です。

●教育セクター勉強会(5月19日・ダッカ)

5月19日(木)午後5時半より、JICAバングラデシュ事務所会議室において、 教育セクター勉強会が行われます。

過去10年にわたって教員訓練大学(中等教育)へ派遣してきた青年海外協力隊 の成果を確認し、今後の協力のあり方を提言する目的で調査してきたシニア隊 員からの報告をもとに、中等教育の問題点、「バ」国における理科教育の意 義、日本の協力の可能性など、様々な点で意見交換する予定です。

(JICAバングラデシュ事務所)
UDAY TOWER(7th floor), Plot No.57 & 57/A, Gulshan Avenue (south),
Circle-1, Dhaka

http://www.jica.go.jp/bangladesh/
[これまで]

●ダッカ・シシュ病院サラセミアセンター開所式(5月8日・ダッカ)

5月8日(日)、ダッカ市内のダッカ・シシュ病院サラセミアセンターの開所 式が行われました。

遺伝的な血液の病気であるサラセミアは地中海貧血症とも言われ、高度の貧 血、溶血症状、発育障害を起こし、輸血が行われない場合は幼児期に死亡する 病気です。バングラデシュでは、毎年3千から5千人の子供が出生していると されています。同センターは、日本の草の根・人間の安全保障無償資金協力に より建てられました。

開所式には、サラウッディン・ダッカシシュ病院理事長、カーン・サラセミア センター所長始めダッカシシュ病院関係者及び堀口大使他が出席しました。
堀口大使のスピーチは近日中に以下のウェブサイトに掲載されます。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/sphmhoriguchi.html


●日バ外相会談(4月21日・ジャカルタ)

4月21日(木)、ジャカルタで行われたアジア・アフリカ閣僚会議に際して、 日バ外相会談が行われました。両外相は日バ関係や国際問題について約40分間
意見交換を行いました。


【4】特別寄稿「JBCCIの思川(おもいがわ)」

(伊藤忠商事ダッカ事務所長、JBCCI副会頭、日本人会副会長兼日本人学校運 営委員長 上野 日出雄)

2001年6月に当地に着任して以来、二つの目標が小生の心の中で日増しに高ま りました。一つは、貿易投資を通じ、日本とバングラデシュの経済成長を加速 させるために、日系企業とバングラデシュ企業による常設の合同活動の場を創 ることであり、今一つは、常設の邦人活動あるいは邦人の集いの集約的な場を つくることでした。後者の方は、年を追うごとにジャパンクラブ設立の構想に 膨らんでいきましたが、初期投資やランニングコスト等の問題が立ちはだか り、いまだ道半ばです。

今回は、前者、すなわちJBCCI(日バ商工会議所)の思いを時系列的に述べさ せて頂きたいと思います。

【2001年6月〜2002年】

日本が最大の二国間ドナー国なのに、日バの貿易額そして日本の対バ投資額が 諸外国に比べ少ないのか、どうすれば増大できるのだろうか、と思案するうち に、日系企業と取引ある、あるいは取引に関心のあるバングラデシュ企業が定 期的に集まり、それぞれの立場で意見交換をする場を持てば、一歩でも前進す るのではないだろうかと思うようになりました。同じ思いを持つ人が日系企業 の中にも、そしてバングラデシュ企業の中にもいるはずだとの思いから、何人 かの人に打診しました。やはりいたのです。

しかし、ただ集まって意見交換しても、その結果を如何に反映させるかが課題 となりました。任意団体ではなく、登録団体として活動しなければ、日バ貿易 ・投資促進の一助にならないことを痛感したわけです。その後、日バ合同の商 工会議所のようなものができればとの構想だけを持ちながら、時が過ぎていき ました。

【2003年】

ジェトロに諸外国の合同商工会議所設立状況を調査願ったところ、1991年の英 バ商工会議所を皮切りに、90年代にはアメリカ、ノルウェー及びオランダが合 同商工会議所を設立し、二国間貿易・対バ投資促進のための活動を行っていま した。また、2000年から2003年にかけては、フランス、マレーシア、ドイツ、 中国、タイが設立していることを知りました。しかし、気持ちが逸るだけで何 も実行に移せない自分自身が情けなくなるのみで、又々、時のみが流れていき ました。

転機はやってきました。2003年12月4日に堀口大使による講演及び意見交換会 が、当時の大使館多目的ホールで開催され、その際に堀口大使にお伺いしたと ころ、「要請があれば側面支援」願える旨のご言葉をいただいたのです。喜び 勇んで、思いを共有する日バ両国の何人かの人達と、以前にも増して熱い協議 を再開しました。

【2004年〜現在】

年が明け、志合えば胡越も昆底たり、合同商工会議所設立を望む日バ両国の企 業家の方々が増え、ジェトロの西川所長のリーダーシップにより、そして、ア ジア文化会館同窓会会長のフセイン先生のご教授のもと、親しく勉強会を開催 する機会が増え、そして、堀口大使、紀谷参事官を始め大使館の絶大なる協力 のもと、合同商工会議所設立の気運がクライマックスに達してきました。

ジェトロの最大限の協力で、基礎情報を収集したり、諸外国の合同商工会議所 のことを更に詳しく調査したり、そして、2004年4月にはバングラデシュ会社 法(1994年)に基づく有限責任保証会社としての定款骨子も出来上がり、又、 日バ17企業・団体の代表の方々に発起人になっていただき、2004年5月5日に 設立発起人集会が開催されるに至りました。

そして、2004年6月8日、ジェトロ主催のジャパントレードショーの開催初日 に、日バ商工会議所(通称:JBCCI)が遂に発足することが出来ました。夢に まで見た日バの合同商工会議所が誕生したのです。感涙、感無量でした。

堀口大使、ミントゥFBCCI会頭、野島日バ商業・経済合同委員会日本側委員長 を顧問にいただき、マティウル・ラーマン会頭始め計12名の役員構成(日バ日 本企業・団体の代表の方6名ずつ)よりなる日本バングラデシュ商工会議所が 誕生しましたが、これからが大変でした。仏作って魂入れずでは所期の目的に 程遠く、ジェトロのご厚意で同事務所内の一室に常設のJBCCI事務局を構え、 JBCCI役員一丸となって会員募集に奔走、2005年5月1日現在の会員数は「56 企業・団体」となり、二国間合同商工会議所の中では、アメリカ(155社)、 中国(129社)、オランダ(70社)に次ぐ4番目に会員数の多い合同商工会議 所になりました(注:諸外国は2004年4月現在の会員数)。

関係者の方々のご支援・ご協力の下、今年6月で満1歳を迎えるJBCCIはこれ からが正念場です。会員数を更に増やすこともさることながら、それ以上に重 要なのは「日バ両国間の双方向貿易及び投資の促進に直接的・間接的に役立つ 活動を恒常的に実施・拡大していくこと」です。この1年近くの主活動の場は バングラデシュ国内でしたが、今後は、日本商工会議所(日バ商業・経済合同 委員会事務局)やジェトロ本部の協力を得て、日本国内の企業・団体に二国間 貿易及び投資促進のアピールを行っていきたいと考えております。

既にご承知の方もおられると思いますが、2005年9月8日〜10日の3日間、 ダッカシェラトンホテルで、JBCCI主催(日本大使館・ジェトロ後援)による 「ジャパントレードフェア」が行われます。現在、出展企業・団体を募ってお りますが、このメルマガを読まれている方々、そしてお知り合いの方々におか れましては、一人でも多くの方が、「ジャパントレードフェア」会場にお越し いただけますよう切望致します。

最後に、日バ二国間の貿易・投資が増大すれば、日本の企業・団体の当地進出 も加速し、そして、在留邦人数も増え(⇒帯同家族が多ければ日本人学校の児 童生徒数も増え、小規模校より脱皮)、上述の二つ目の目標、すなわち、 「ジャパンクラブ」の創設も夢ではなく、早晩実現できるのではと、改めて立 志中(皮算用?)の今日この頃です。

(日本バングラデシュ商工会議所)

http://www.jetro.go.jp/bangladesh/eng/jbcci/index.html
(日本トレードフェア)
http://www.jetro.go.jp/bangladesh/eng/link_files/upcoming_events.html


【5】バングラデシュ案内・第25回「バングラデシュのテレビ局」

先日、衛星放送局NTVを見学する機会がありました。このテレビ局は、ニュー スを主に扱っており、各国要人とのインタビュー番組なども放映しています。 堀口大使もインタビュー番組収録の依頼を受け、近々放映の予定です。(5月 10日午後6時50分、番組名「Frankly Speaking」)

NTVは、カウランバザールにあるビルの6階にあります。わずかビルの1フロ アから衛星放送で世界中に番組を発信しているのです。エレベーターで6階に 昇ると、それまで薄暗かったビルが一変して近代的なエントランスが現れまし た。しばらくロビーで待っていると、係りの人が現れ、今回案内してくださる プロデューサーの部屋へ案内してくださいました。

プロデューサーからは、部屋のパソコンを使って、ニュース配信システムにつ いての説明がありました。インターネットに専用のサイトを持っていて、世界 中の特派員や出張者がいつでもどこでもアクセスしてニュース原稿を書き込 み、読むことができるようになっているそうです。ニュースを放送する際に は、その中から取捨選択をして、すぐにアナウンサーが読むことができるよう になっています。

その後、ニュースセンターとスタジオに案内していただきました。ニュース は、ニュースセンターの横にあるスタジオから放映されます。スタジオとセン ターの間はガラス張りになっていて、アナウンサーは、そのガラスを背にしな がらニュースを読みます。ニュース番組中、アナウンサーの後ろを忙しそうに 歩き回る人たちを皆さんも見たことがあるかもしれません。

番組中、スタジオ内には出演者以外は入らず、カメラは全部コントロールルー ムから操作します。カメラには、鏡を使って映し出されたニュース原稿が現 れ、アナウンサーはカメラ目線でありながら、原稿を読むことができます。

それから、コントロールルームや編集室などを案内していただきました。映像 のサーバ中央管理システムや編集機材などは、CNNなど巨大ネットワークが 使っているものとほぼ同じものを使っており、ほとんど米国製でした。

NTVは放送開始からまだ数年しかたっていない若いテレビ局で、社員は役員を 含めほとんどが40歳以下で、平均年齢は27歳だそうです。既に米国にも放送網 を広げており、6月には、新たにエンターテインメント中心のチャンネルを開 局する予定で、それに向けた施設拡張を計画しています。

発展途上のバングラデシュにおいて、これほど近代的な設備を持った会社があ り、世界にニュースを配信していることを知り、驚いたとともに、発展に対す るエネルギーを強く感じました。こういった若い力がバングラデシュの将来を 支えているのだなと実感した一日でした。

(NTV)
http://www.ntvbd.com/

(在バングラデシュ日本大使館・飴谷貴信)


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発行:在バングラデシュ日本国大使館
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Plot#5&7, Dutabash Road, Baridhara, Dhaka, Bangladesh
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FAX(880-2)882-6737
http://www.bd.emb-japan.go.jp/

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