===================================
日本・バングラデシュ交流メールマガジン(第27号・2005/2/24)
-日本とバングラデシュの橋渡しのために-
===================================
□ 目次 □
【1】 堀口大使メッセージ「バングラデシュとレバノン」
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●写真展・ワークショップ「子どもの瞳に写る世界」(2月26日・ダッカ)
●中村盆栽専門家のバングラデシュ訪問(2月26日〜3月2日・ダッカ)
●文部科学省留学生渡日前オリエンテーション(3月15日・ダッカ)
●ABKD・大使館共催生け花コンテスト(3月18日・ダッカ)
●日本語スピーチコンテスト(3月19日・ダッカ)
[これまで]
●Discover Japan展(2月24日・ダッカ)
●技術協力「小学校理数科教育強化計画」セミナー(2月24日・ダッカ)
●母子保健産科救急システムに関する勉強会(2月19日・ダッカ)
●JUAAB主催ベンガル語スピーチ・歌謡コンテスト(2月19日・ダッカ)
●鳥インフルエンザワークショップの開催(2月17日・ダッカ)
[おしらせ]
●渡航情報(スポット情報)の発出(1月29日)
【3】特別寄稿「バングラデシュ--大きな物語の行方」
(萱野智篤 北星学園大学助教授 アジア協会バングラデシュ客員研究員)
【4】バングラデシュ案内・第20回「国会議事堂訪問」
【1】 堀口大使メッセージ 「バングラデシュとレバノン」
先月、一時帰国中にキブリア元大蔵大臣がテロに倒れた旨のニュースを聞き、
キブリア氏が野党アワミ連盟の重鎮の一人であっただけに、バングラデシュの
直面する問題の大きさを改めて認識しました。そして数週間後今度はレバノン
で、ハリーリ元首相が他の14名とともに爆殺されました。ハリーリ氏は私がレ
バノンに大使として赴任したときの首相であり、ベイルートに潜伏していた岡
本公三など日本赤軍メンバーの逮捕及び日本への送還問題でも大いにお世話に
なった方でした。
私が良く知る二人の政治家の暗殺を通してバングラデシュとレバノン両国の相
違点を考えさせられました。両国は置かれた地政学的条件が大きく違うため、
相違点の方が遙かに多いのですが、緑と水が比較的多いこと以外にもいくつか
の共通点もあります。
一つは、両国とも政府の力が弱い分、企業家精神に富んだ実業家が多数いて、
民間セクターが旺盛なことです。レバノンが内戦前、中東の貿易、金融、教育
の中心と言われた発展を遂げ、内戦後破壊されたベイルートをハリーリ首相の
下で復興したのも、フェニキア以来の伝統を持つ商人達が担ったものです。そ
してバングラデシュでも最近のダッカの目覚ましい発展は、専ら企業家達の努
力によるものです。
第二は、両国とも海外への移民ないし出稼ぎが多いことです。レバノンの移民
のうち、キリスト教徒は欧米に行く者が多く、しかも定住型が多いのに対し、
イスラム教徒はサウジなど湾岸諸国やアフリカに行く場合が多く、一稼ぎした
後は帰国する者が多いとの特徴があります。ハリーリ元首相もサウジに教師と
して渡り、ビジネスに転じて巨万の富を築いたことで知られています。
他方バングラデシュでは、高い教育を受けた人達は欧米に行って定住するケー
スが少なくないのに対して、むしろ貧しい人達が湾岸諸国や東アジアに出稼ぎ
に行き、年間数十億ドルもの送金をして国民経済に貢献しています。
そして第三は、両国とも民族的には同一でありながら、国内は政治的にかなり
分裂していることです。レバノンはユダヤ教、キリスト教、回教の発生地に近
いことや、険しい山岳の中で各グループが互いに干渉されずに生活できたこと
などの事情から、トインビーが「宗教の博物館」と呼ぶほど多数の宗派に分か
れており、1921年の独立以降、互いにいがみ合いを続けてきました。その結果
内戦が始まりますが、15年ぶりに和平にこぎ着け、ハリーリ首相の下で破壊さ
れたベイルートを再建しました。しかし、基本的な宗派間の反目の構造は変わ
らないままであったため、今回のハリーリ暗殺が起きてしまったといえます。
他方、バングラデシュの政治的対立は、宗教やイデオロギー上の差によるもの
ではなく、多分に与野党党首間の反目によるものと言われています。レバノン
の政治的対立が長い歴史を持つ宗派主義に起因するだけにその解決は容易では
ありませんが、バングラデシュの対立の解決は遙かに容易なはずです。
バングラデシュには勤勉な国民、優秀な起業家、高い知性をもった知識人が多
数いながら、その発展を阻んでいる大きな原因はこの政治的対立にあり、国民
が力を合わせて何とか解決策を見い出すことを願っています。
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●写真展・ワークショップ「子どもの瞳に写る世界」(2月26日・ダッカ)
2月26日(土)、午後1時から5時まで、特定非営利活動法人シャプラニール =市民による海外協力の会は、ダッカで運営するストリートチルドレンのため の施設で、「子どもの瞳に映る世界〜バングラデシュ・ネパール・日本の子ど もが撮ったそれぞれの暮らし〜」の写真展を開催します。50名の子どもたちが 自分の生活を写した写真、約50点が展示されます。当日は地域の大人や子ども を対象として、子どもがよりよい生活を享受するためのワークショップも実施 されます。
日時:2005年2月26日(土)13時受付開始、17時終了予定
場所:Drop In Centre- Jatrabari, Aparajeyo Bangladesh 55/1 North
Jatrabari, Demra, Dhaka
使用言語:ベンガル語(英語通訳あり)
http://www.shaplaneer.org/event/wakuwaku05.htm
●中村盆栽専門家のバングラデシュ訪問(2月26日〜3月2日・ダッカ)
2月26日(土)〜3月2日(水)まで、(財)日本盆栽協会の中村享専門家が 日本文化・盆栽の普及活動のため、国際交流基金より派遣されます。 中村専門家はダッカ・セグンバギチャのシルポコラ・アカデミー内国立音楽・ 舞踊センターにて、27日に盆栽ワークショップ、28日にバングラデシュ盆栽協 会会員による盆栽展開会式に引き続き、盆栽レクチャー・デモンストレーショ ンを行います。3月1日は午後4時より、盆栽展閉会式、盆栽コンペティショ ンの表彰式が行われます。詳細は大使館広報文化班 進藤・飴谷までご連絡下
さい。(電話:881-0087、内線150/151)
●文部科学省留学生渡日前オリエンテーション(3月15日・ダッカ)
3月15日(火)、午後3時より大使館にて、2004年度に大使館からの推薦に基 づき、文部科学省奨学生として認定された研究留学生、学部生、高等専門学校 生、専修学校生計29名の出発前壮行式が行われます。
●ABKD・大使館共催生け花コンテスト(3月18日・ダッカ)
3月18日(金)、グルシャン1地区のSpectra Convention Center1階ホール にて、ABKD・大使館共催の生け花コンテストが実施されます。詳細は追って連 絡させて頂きます。
●日本語スピーチコンテスト(3月18日・ダッカ)
3月19日(土)午後3時から、BRACセンター内講堂にて、ダッカ日本語教室、 ダッカ大学現代語学研究所日本語コースの共催で、日本語スピーチコンテスト が開催されます。詳細は追って連絡させて頂きます。
[これまで]
●Discover Japan展(2月24日・ダッカ)
2月24日にダッカ市中央図書館にて、ダッカ日本語教室及びバングラデシュ日 本青年友好協会、大使館の共催で「Discover Japan」と題する日本関連の展示 会が開催され、盆栽、生け花、折り紙、日本人形、日本の書籍・ポスターなど の展示・紹介、柔道・空手のデモンストレーション、日本最新事情・日本文化 に関するドキュメンタリー番組の放映、日本留学相談等が実施されました。開 会式には、ファイズダッカ大学学長、中国大使他が参加し、堀口大使は以下の スピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/discoverjapan240205.html
●技術協力「小学校理数科教育強化計画」セミナー(2月24日・ダッカ)
2月24日、シェラトンホテルにて技術協力プロジェクト「小学校理数科教育強 化計画」オープニングセミナーが開催され、シャムスッディン初等・成人教育 省次官、堀口大使他が参加し、堀口大使は以下のスピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/seminar_pedp2_240205.html
●母子保健産科救急システムに関する勉強会(2月19日・ダッカ)
2月19日、母子保健研修所にて、同研究所産科課長を講師にバングラデシュの 母子保健における産科救急システムに関する勉強会が開催されました。当日は バングラデシュの女性を取り巻く環境、母子保健研修所の役割等の説明、母子 保健研修所の見学が行われました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/050219flyer.html
●JUAAB主催ベンガル語スピーチ・歌謡コンテスト(2月19日・ダッカ)
2月19日、ダッカ大学TSC講堂にて、21日の言語運動殉死者追悼の日及び世界 母国語デーを記念して、バングラデシュ日本留学同窓生協会(JUAAB)主催ベ ンガル語スピーチ・歌謡コンテストが実施されました。堀口大使は以下のス ピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/banglaspeechcontest190205.html
●鳥インフルエンザワークショップの開催(2月17日・ダッカ)
2月17日、バングラデシュ畜産試験場(BLRI)とJICAの共催で鳥インフルエン ザワークショップが開催されました。北里大学家禽疾病研究室の竹原助教授が 鳥インフルエンザの迅速診断、早期対応に関わるプレゼンテーションを行い、 当日はノマン漁業・畜産大臣、JICA新井所長他約200名が参加し、宇喜多公使 は以下のスピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/cdr03sp_birdflu170205.html
[おしらせ]
●渡航情報(スポット情報)の発出(2月21日)
2月21日、外務省は、2月10〜16日にかけて、バングラデシュ北西部にてNGO 等を標的とした爆破事件が相次いで発生したことを受けて、北西部における下 記の連続爆破事件に関するスポット情報を発出しました。
○2月10日、ガイバンダ県ゴビンドゴンジ郡のBRAC(NGO)支所にて爆弾2発 が爆発し、職員3人が負傷。
○2月13日、ジョイプルハット県カライ郡のBRAC支所にて爆弾が爆発し、職員 3人が負傷。
○2月15日、ノオガオン県ポルシャ郡のBRAC支所に向けてバイクに乗った集団 が爆弾3発を投げ入れ、職員4人が負傷。
○2月16日、シラズゴンジ県ウルラパラ郡のグラミン銀行支店に何者かが爆弾 3発を投げ入れ、同銀行職員2人が負傷。
事件の犯人等背景は明らかではありませんが、バングラデシュに渡航・滞在さ れる方は、最新の治安関連情報の入手に努め、政治集会、宗教関連施設、映画 館、バスターミナル、市場等、テロの標的となる可能性のある場所には近づか ない、多数の人が集まる場所では警戒する、周囲の状況に気をつけるなど安全 確保に十分注意を払って下さい。また、状況に応じて適切な安全対策が講じら れるように心掛けて下さい。
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=12#header
【3】特別寄稿「バングラデシュ--大きな物語の行方」
(萱野智篤 北星学園大学助教授 アジア協会バングラデシュ客員研究員) 2月21日(エクシェ・フェビュアリー)は、バングラデシュにとって特別な日 である。
1952年のこの日、東パキスタンの人々は、ウルドゥ語を唯一の国語とするパキ スタン政府の方針に対し、自分たちの母語であるベンガル語を国語として認め ることを要求して、公の場所での集会を禁止する命令を無視して街頭に出た。 平和的手段によって行われたこの市民的不服従行動に対し警官隊は発砲、4名 が犠牲となる。この事件の後、東パキスタンの自治を求める動きは加速し、軍 事独裁とそれに対する抵抗、そして独立戦争でさらに多くの尊い犠牲を伴いつ つ、1971年新しい独立国家が誕生する。
このバングラデシュという大きな物語の中で、2月21日は、独立という実を結 ぶ種が蒔かれた日であり、圧制に対する抵抗と自己犠牲の象徴とされる。この 日は、バングラデシュの人々の心を高める、聖なる日なのだ。
毎年この日が近づくと、事件の舞台となったダッカ大学周辺では、ブックフェ アーをはじめベンガル語・ベンガル文化を振興する様々な記念行事が行われ る。犠牲者の碑(ショヒド・ミナル)の石段は、きれいに磨き上げられ色鮮や かなオルポナが描かれる。2月21日の午前0時からは、大統領、首相を筆頭 に、国会議員、外交団等様々な団体や個人が次々とダッカ大学医学部の近くに
あるこの碑に集まり、花輪をささげる。この日ショヒド・ミナルは聖地とな る。
しかしながら、バングラデシュの物語は、ベンガル語とベンガル文化だけでは 語り尽くせない。遠く離れた西方に聖地を持つイスラームは、この地における 13世紀のムスリム王権確立以来、西方からの人の移動や、ベンガルの未開拓地 の開発を通じて、信仰者を増やし人々の心に浸透していった。
イスラームは、人々に自然の脅威と戦う勇気を与え、不条理な生と死に慰めを 与え、正義を求める力を与えた。1947年のパキスタン建国においても、多くの ムスリム農民が抑圧と飢えからの解放を求めて、パキスタン(清浄な国)に ユートピアの実現を夢見たことは忘れ難い。
ユートピアへの期待は、それが強く大きなものであればあるほど、裏切られた ときの失望は大きい。パキスタンに対する期待が、失望に変わるのに多くの時 間はかからなかった。英語を話すイギリス人に代わって、ウルドゥ?語を話す 人々が支配者としてやってきた。そして、差別と不平等は残った。1952年2月 21日のクライマックスに至る言語運動は、パキスタン建国のわずか1ヶ月後か ら始まっている。
ただし、パキスタンに失望したからといって、ベンガル語とベンガル文化が、 信仰としてのイスラームに取って代わったわけではない。多数派の信仰がイス ラームであることには何の変化もない。実際に、この言語運動の指導者の演説 の中で、イスラームのテキストによる比喩とイディオムはふんだんに使われて いる。イスラームは依然として、13世紀以来ベンガル社会に浸透してきた「通 奏低音」として歴史の古層の中間あたりに堆積している。そして、この古層の さらに深部には、バラモン教や仏教が支配的だった時代がある。ベンガルのム スリム社会は、これらの古層の上に形成されたユニークな特徴と伝統を持って いる。
ベンガルのムスリム社会は、一般的にイスラームが都市や商業に関わるのに対
して、圧倒的に農村である。また、土着のヒンドゥー文化と混交した様々な特
徴が見られる。このような他宗教との習合的な特徴は、本来世界的な広がりを
持つイスラーム世界の中で原理主義的な動きが高まるときには、「浄化」の対
象となり、原理主義者が活発な活動を繰り広げる根拠となる。他方、このよう
な特徴は、異なる宗教との共存を可能にする寛容な文化的伝統を育んできた。
バングラデシュの人々がこよなく愛するバウルの歌、そしてタゴールやノズル
ルの詩は、このような伝統の上に立って、人間性の賛歌を深遠にそして力強く
謳いあげる。
だが実は、同様の寛容性はイスラームの教えをさらに徹底する立場からも生じ
得る。すなわち、イスラームが人間の生についての普遍的かつ包括的な理想で
あることを確信すれば、その根本には、ある特定の宗教に限られない、人類の
普遍的規範に源を持つ自明の真理が存在するはずである。そして、この真理
は、宗教の違いに拘らず、それぞれの異なった道から到達することによって、
初めてその普遍性が証明される。
20世紀の初頭から60年を超える政治生活において、一貫して、抑圧された農民
や労働者の立場に立ち、バングラデシュの大きな物語の行方に影響を与えたモ
ウラナ・バシャニの中にこのような側面が見える。主に学生が中心となった言
語運動を、政治家の側からバックアップしたのも彼だった。
バングラデシュという大きな物語には、今もその新しい一章が加えられつつあ
る。そして、それは今、バングラデシュの地理的な国境を越えて広がってい
る。
メッカやメディナといった古い聖地に加え、アフガンやイラクを新しい聖地と
する人々は、バングラデシュに彼らの見果てぬ夢を実現しようとしているよう
だ。この物語では、13世紀以前のこの地の歴史は忘れ去られるだろう。2月21
日に与えられる意味も、これまでとは変わってくるだろう。そして、この物語
には、暴力と不寛容の兆しが見える。近年、暴力の対象は、宗教的マイノリ
ティーから進歩的知識人、野党指導者、ジャーナリストそしてNGOへと不気味
な広がりを見せている。
他方、それとは異なる大きな物語に夢を託す人々がいる。
1998年、カナダに住むバングラデシュ人、ロフィクル・イスラム氏は、国連事
務総長コフィー・アナン氏に手紙を送って、2月21日を国際母語の日とするこ
とを提案した。何度も壁に突き当たりながら、彼は国際機関と構成国への粘り
強い働きかけを続け、ついに、この日に新たな世界的な意義が与えられる時が
やって来る。1999年11月17日UNESCO(国連教育科学文化機関)の総会は、バン
グラデシュの提案を受けて、2月21日を国際母語の日とし母語の振興を通じて
異なる民族・文化間の寛容と尊敬を確立することを、参加188カ国の全会一致
で宣言した。
在外バングラデシュ人と代表部、そしてユネスコ事務局の努力が、言語運動の
意義を広く世界に知らせ、多様な民族とその文化が平和的に共存する世界への
道標を示した。この小さな、しかし重要な出来事は、個人と国際社会の相互関
係を考える上で、また遠隔地ナショナリズムとインターナショナリズムが融合
した例として注目に価する。翻ってバングラデシュを見れば、これは、ベンガ
ル語以外の母語を持つ少数民族の人々への寛容と尊敬を実現する物語への展開
を指示している。
人は皆それぞれ、小さくてもかけがえのない物語を生きている。1人1人の小さ
な物語は、様々に関わり合い、大きな物語を作り出す。一つの大きな物語が作
り出される時、小さな物語はその光と影で語られるようになる。大きな物語が
小さな物語を暗闇に閉じ込めて忘れ去ってしまうことのないように、小さな物
語が歴史を映し出し作り出すその瞬間に目を凝らし、聴かれることを待ってい
る声なき声に耳を傾けつつ、これからもこの国の大きな物語の行方を追って行
きたい。
【4】バングラデシュ案内(第20回)「国会議事堂訪問」
先日、国会議事堂を見学してきました。国会議事堂といえば、夜間は美しくラ
イトアップされ、ダッカ市のシンボル的な存在感がありますが、遠くから外観
を楽しむのみならず、事前に申し込めば子どもを含め誰もが内部を見学するこ
とも可能です(申し込み方法は後述)。
国会議事堂はバングラデシュ独立前の1967年、東パキスタン州議会議事堂とし
て着工され、バングラデシュの独立を経て、国会議事堂として1982年1月18日
にオープンしました。ジア大統領の墓があるジア公園に面した、大統領専用の
議事堂入り口わきに、議事堂の完成を祝し、当時の大統領アブドゥル・サッ
タール氏の名前で刻まれた石碑が設置されています。
外から見ても分かりませんが、国会議事堂は実は9階建ての建物で、中央の議
事堂を囲むように、国会図書館、国会議長室、事務所、国会常任委員会室等
様々な部屋があります。東側通用門から中に入ると、次の部屋には空港の出国
ゲートのような検査機があり、厳重なチェックを受けました。大統領、首相、
野党党首など、他のゲートを通るVIP以外の国会議員もすべてこのチェックを
受けるそうです。
まず、国会図書館に案内してもらいました。議員用の図書閲覧室は広くて立
派、コンピュータールームもありました。部屋を取り囲むように、国際会議場
の同時通訳席の様なブースがあるのですが、それは議員が静かに本を読むため
の設備とのことでした。
現在の書籍所蔵数は新聞、雑誌などを取り纏めたものも含め約150万冊、書架
は整理されていましたが、古い本が目立ちました。日本関係の書籍も例外にも
れずとても古いものでした。日本の国会図書館のように、バングラデシュで出
版されるすべての図書を所蔵するようなシステムはなく、国会図書館の予算内
で、毎年所蔵書籍が購入されるのだそうです。
国会議事堂内の議事場は、第一印象としてとても綺麗でした。高い天井に8角
形の天蓋があり、建物のてっぺんから差し込む光と電気とで内部は明るく、良
く掃除も行き届いて整然としていました。
議長席に向かって、360席の議席が並んでいます。議長席に近い手前右側が与
党BNPの席、その最前列に閣僚が座り、一番右端にジア首相が座ります。その
対角、向かって左側最前列の一番左端が野党代表のアワミ連盟ハシナ党首の席
です。議長席から遠い後ろ右側もBNP、中央にジャマティ・イスラミ(JI)、
左端がエルシャド国民党議員などの議席で、与党BNP・JIの圧倒的優勢状態が
客観的に見て取れました。
良く見ると、各議員の椅子は鎖で床に固定されており、一定の範囲を超えては
動かせないようになっていました。聞けば、議論が紛糾し、議員達が興奮して
椅子を投げようとするのを抑える目的だとのことでした。なるほど、と思いま
した。(大使館広報文化班・河野秀美)
【見学申し込み方法】
@氏名、Aパスポート番号、B希望訪問日、C訪問の目的を記入したレターを
下記の住所に送付すると、追って事務局より許可の連絡・訪問日時の通報があ
りますので、その指示に従って下さい。
送付先:
Captain Muhammed Farooque, psc, BN
Sergeant At Arms
Bangladesh Parliament Secretariat
Sher-E-Bangla Nagar, Dhaka
●本メールマガジンは、当地在留邦人の皆様及び希望者に送付しております。本メールマガジンの配信開始・変更・中止のご希望がありましたら、編集部ま でご連絡いただければ幸いです。
●本メールマガジンに対するご意見・ご感想、日本・バングラデシュ間の各種 交流事業等今後掲載する記事・情報に関するご示唆等をお待ちしております。 また、本メールマガジンの特別寄稿を執筆頂ける方を(自薦・他薦とも)募集 しております。お気軽に編集部までご連絡いただければ幸いです。
●バックナンバーは次のウェブサイトにてご覧になれます。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/mailMagazine/index.html
●編集部のメールアドレスは次の通りです(担当:河野・飴谷)。
mail@embjp.accesstel.net
発行:在バングラデシュ日本国大使館
Embassy of Japan
Plot#5&7 Dutabash Road
Baridhara, Dhaka, Bangladesh
電話(880-2)881-0087
FAX(880-2)882-6737
http://www.bd.emb-japan.go.jp/
|