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日本・バングラデシュ交流メールマガジン(第24号・2005/1/13)
?日本とバングラデシュの橋渡しのために?
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□ 目次 □
【1】堀口大使メッセージ「新年を迎えて」
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●ポスターに見る日本展(1月18?31日・ダッカ)
●国連防災世界会議パブリックフォーラム(1月21日・神戸)
●第2回国際教育協力日本フォーラム(2月8日・東京)
●Discover Japan展(2月24日・ダッカ)
●空手ジャパンカップ(2月25日・ダッカ)
[これまで]
●バングラデシュ・日本友好セミナー(1月8日・ダッカ)
●ICDDR,Bの洪水被害救済活動への草の根・人間の安保無償
(1月6日・ダッカ)
●Bridging the Gap through Languageセミナー開催(12月29日・ダッカ)
●マレカ・カーン氏の生け花個展(12月24?25日・ダッカ)
●天皇誕生日に際しての日本特集の当地紙掲載(12月23日・バ全国)
[おしらせ]
●2005年度大使館休館日のお知らせ
【3】特別寄稿「柔道を通じてバングラデシュと日本の架け橋に」
(講道館 国際部次長 全日本柔道連盟 国際委員長 講道館柔道7段:
藤田真郎氏)
【4】バングラデシュ案内・第17回「バングラデシュの結婚式」
【1】堀口大使メッセージ「新年を迎えて」
新年明けましておめでとうございます。
2005年が読者の皆様にとり、幸多き年であるようお祈り申し上げます。
本年もバングラデシュが更なる発展を遂げて欲しいと願っておりますが、新年 の行方を占う上で昨年の四つの動きが特筆されます。
第一は、ここ1?2年の間にグルシャン通りを初めダッカの多くの地区で ショッピングセンター、スーパーマーケット、レストラン、瀟洒なアパートな ど建設ラッシュが続き、更に、本年1月に予定されていたSAARC首脳会談への 準備もあって首都の美化計画が急速に進み、ダッカが1年前と比べ見違えるほ どに改善したことです。本年も民間セクターの更なる発展とダッカの美化が進 むよう願っています。
第二に、昨年はシレットにおける英大使の負傷や、8月21日のアワミ連盟 集会爆破事件 など一連の爆破事件、また、大規模な武器密輸事件が続き、しかもほとんどの事件の真相 は明らかにされず、犯人の処罰も行われなかった結果、治安の悪化は憂うべき状況に陥り ました。ところが、6月頃から警察及び軍からなる緊急行動部隊(RAB)等の特殊部隊が犯罪 者の取締りに乗り出してから治安は目に見えて改善し始めたことです。法と秩序は政府の 汚職と共にガバナンスの要であり、上記諸事件の解明を含め更なる改善が期待されます。
第三は、バングラデシュの開発を阻害してきた政治風土、なかんずくハルタル について、8月21日事件以降、アワミ連盟はハルタルに替えて「人間の壁」あるいは「ヒュ ーマン・チェーン」に戦術を変更することを明らかにしました。 その後、アワミ連盟の下部組織によるハルタルが数件ありましたが、アワミ連 盟のこの決定はバングラデシュの民主主義の発達及び国民経済の発展にとって画期的な意義 があり、是非とも定着して欲しいものです。 更に、昨年暮れ、ハシナ・アワミ連盟党首の息子のジョイさんが帰国し、政界 入りを示唆しましたが、彼の政界入りによって、アワミ連盟の活性化、更には バングラデシュ政治全体の発展のキッカケになるのではないかと期待されます。
第四に、7月、8月には、1988年の洪水以来といわれる大洪水があり、更に9 月には54年ぶりという記録的大雨によって経済は大きな被害を受けましたが、 バングラデシュ政府は国際社会の支援もあって、数百名の水死者を出したもの の餓死者はほとんど出すことなく克服しつつあります。
かつての災害では十数 万人の死者が出たことから見ますと、自然災害に対処する体制の整備は顕著な ものがあります。
今般のインド洋津波災害に対し、バングラデシュ政府は2隻の艦艇と2機の航 空機を救援物資と共にスリランカとモルジブに送りましたが、バングラデシュ が数多くの災害を通して得られた貴重なノウハウを、これら被災国の復旧に際 して役立てる体制ができれば、バングラデシュの国際貢献という点ですばらし いことだと思います。
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●ポスターに見る日本展(1月18?31日・ダッカ) 1月18日(火)午後4時から、国立博物館1階小ホールにて、現代日本のグラフィック デザイナーのポスター作品75点を通して、現代日本の姿を映し出す展覧会「Discover Japan through Contemporary Posters」の開会式が開催されます。カジ・アブル・ カシェム文化省次官、宇喜多公使他が参加する予定です。 通常展示は、木曜日を除く1月19日(水)?31日(月)、国立博物館1階ギャ ラリーでご覧になれます。是非、皆様お誘い合わせのうえ、ご来場下さい。
□国立博物館□
開館時間:午前10時?午後5時
休館日:木曜日
住所:Bangladesh National Museum, Shahbagh, Dhaka-1000
電話:02-861-9396?99
●国連防災世界会議(1月18?21日・神戸)
1月18日(火)?22日(土)まで、神戸にて国連防災世界会議が開催され、バングラデシュ からはユスフ災害対策・農業大臣が出席する予定です。国連防災世界会議の詳細については、 下記のウェブサイトをご覧下さい。
http://www.mofa.go.jp/policy/un/conf0501.html
http://www.unisdr.org/wcdr/
なお、1月21日(金)午前9時から12時まで、神戸国際会議場メインホールにて、国際協力 機構(JICA)主催の国連防災世界会議パブリックフォーラム「災 害に強い国づくり人づくり?国際協力の成果とより良い支援に向けて?」が開 催されます。詳しくは下記のウェブサイトをご覧下さい。
http://www.jica.go.jp/event/050121.html
●第2回国際教育協力日本フォーラム(2月8日・東京)
2月8日(火)午前9時から午後6時まで、東京・学術総合センター(一橋記 念講堂)にて、文部科学省、外務省、広島大学、筑波大学の主催で第2回国際 教育協力日本フォーラム ―自立的教育開発に向けた国際協力―が「女子教育 の普及―発展途上国の視点」を主要テーマとして開催されます。参加を希望さ れる方は1月31日(月)迄に電子メールまたはFAXでお申し込み下さい。
japaneducationforum@yahoo.co.jp
FAX番号:082-424-6913
□問い合わせ先□
JEFII事務局
広島県東広島市鏡山1丁目5?1 広島大学教育開発国際協力研究センター内
電話:082-424-6959
FAX:082-424-6913
Japan Education Forum (JEF)は、2004年3月に日本の発展途上国への教育分
野の貢献の一環として、文部科学省と外務省のイニシアティブで設立された年
次国際フォーラムです。国際教育協力に関する発展途上国の自立に向けた教育
開発の重要性とその自助努力を支援する国際教育協力の必要性について、自由
かつ率直に意見交換する場を提供することを目的としています。
●Discover Japan展(2月24日・ダッカ)
2月24日(木)、ダッカ市中央図書館にて、ダッカ日本語教室及びバングラデ シュ日本青年友好協会、大使館の共催で「Discover Japan」と題する日本関連 の展示会を開催する予定です。詳細は追って連絡させて頂きます。
●空手ジャパンカップ(2月25日・ダッカ)
2月25日(金)、ミルプール・インドア・スタジアムにて、空手ジャパンカッ プが開催される予定です。詳細は追って連絡させて頂きます。 [これまで]
●バングラデシュ・日本友好セミナー(1月8日・ダッカ)
1月8日、グルシャンのサマルカンドレストランにて、バングラデシュ日本友 好協会主催のバングラデシュ・日本友好セミナーが開催され、堀口大使は以下 のスピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/59sp_bdjpfa080105.html
●ICDDR,Bの洪水被害救済活動への草の根・人間の安保無償
(1月6日・ダッカ) 1月6日、堀口大使とバングラデシュ国際下痢疾患研究センター(ICDDR,B) のサック所長は、ICDDR,Bによる洪水被害救済活動支援のため、日本政府が総 額77,306ドルの草の根・人間の安全保障無償資金協力を行う契約を締結しました。 ICDDR, Bは水質検査の実施、浄水用化学品の提供、緊急医療サービスなどを実施する NGOワーカーの研修を行います。詳細は以下のプレスリリースをご覧下さい。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/news/pr/57pressicddrb060105.html
●Bridging the Gap through Languageセミナー開催(12月29日・ダッカ)
12月29日、ダッカプレスクラブにて、英語、日本語等様々な言語のコースを開催して いるダッカ言語クラブが主催する「Bridging the Gap through Language」セミナーが行われ、堀口大使は以下のスピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/58sp_dlc291204.html
●マレカ・カーン氏の生け花個展(12月24?25日・ダッカ)
12月24?25日、ウッタラのギャラリー・カヤにて、マレカ・カーン氏の生け花個展が開催 され、24日の開会式にて堀口大使は以下の挨拶を行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/56sp_maleka241204.html
●天皇誕生日に際しての日本特集の当地紙掲載(12月23日・バ全国)
12月23日の天皇誕生日に際し、当地主要英字・ベンガル語10紙(ニューストゥデイ、 ニューエイジ、ディリースター、インディペンデント、ファイナンシャル・エクスプレス、 バングラデシュ・トゥデイ、バングラデシュ・オブザー バー、ニューネーション、エコノミック・タイムス、デイリー・メイラット (ベンガル語紙))は日本特集(Supplement)を組みました。堀口大使メッ セージ、日・バングラデシュ関係のクロノロジー、日本のODAに関する資料等 が掲載されました。堀口大使メッセージは以下のウェブサイトに掲載されてい ます。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/message231204.html
[おしらせ]
●2005年度大使館休館日のお知らせ
12月29日(水)?3日(月)年末年始休暇
1月20日(木)* Eid-ul-Azha
2月20日(日)* Moharram
2月21日(月) Shahid Day
3月20日(日) Vernal Equinox Day
4月14日(木) Bengali New Year's Day
5月1日(日) メーデー
5月5日(木) 子供の日
9月19日(月) 敬老の日
9月20日(火)* Shab-e-Barat
10月13日(木)* Durga Puja
11 月 1 日 ( 火 ) * Shab-e-Qader
11 月 3 日 ( 木 ) * Eid-ul-Fitr
11月7日(月) National Revolution & Solidarity Day
12月25日(日) クリスマス
12月29日(木) 年末休暇
(* 印の休日については月の出方により変更の可能性があります)
【2】 特別寄稿「柔道を通じてバングラデシュと日本の架け橋に」
(講道館 国際部次長 全日本柔道連盟 国際委員長 講道館柔道7段
:藤田真郎氏)
○27年前の柔道
日航ハイジャック事件から4ヵ月、28歳になったばかりの私がその舞台となっ たダッカ空港に降り立ったのは1978年1月のことであった。当時の空港はダッカの街外れ にあり、現在の空港とは比べ物にならない位小さなものであった。
飛行機のタラップを降りたらバスが出た後で、スーツ姿の私であったが、小型 トラックの荷台に揺られて空港ターミナルに向かった。
1978年赴任当時のバングラデシュの柔道は、技術的には柔道というよりも取っ 組合いのケンカといった方が相応しく、強引な巻き込み技や力ずくで引き倒す という「柔道まがいのJUDO」が主流で、寝技の攻防も未熟であった。
審判のレベルはといえば、技のスコア基準や罰則の適用判断がデタラメだった り、身内に対するえこひいきもひどく、大会の度にそのことが争いのもとと なっていた。ただ、選手達が礼儀正しいのには正直驚いた。体格的には人種的 なものや栄養不足のせいか、大半の選手は小柄で65kgもあれば重量級といった感じであった。
NSCB(National Sports Control Board)の建物内にある片隅の一室が専用柔 道場となっていたが、柔道場といっても畳が無く、コンクリート床の上に葦を 編んでゴザにしたものを数枚重ね、その上をビニールシートカバーで覆ったお 粗末なものであった。私が思い切って投げると、投げられた者は受身の度に可 哀想にもコンクリートの音を響かせていた。バングラ製の柔道衣は空手衣のよ うに生地が薄く、技を掛ける時に引っ張るとすぐ破れてしまった。今はNSC (National Sports Council)道場のほか、ミルプールの屋内体育館でも柔道 が行われているが、当然のことながら畳敷きの道場である。 赴任したての頃は、新人教師のお手並み拝見とばかりに猛者連中が私に勝負を 挑んできた。
最初が肝心とばかり、黒山の見物人の前で、グーの根も出ないく らい、全員を片っ端から千切っては投げ千切っては投げ、更に抑えて、絞め て、関節を極めた。こんなことが1週間程続いた。日本と違って外国で柔道を 指導する際には、指導する先生が生徒にやられたらお終いなのである。赴任 早々、文句なしの師弟関係を確立させた。
指導対象は有段者、青少年、女子学生、そして軍隊、警察、BDR(国境警備 隊)である。指導の効率を計ることと彼等の置かれている立場の違いを考慮 し、幾つかのクラスに分けて指導することにした。青少年や女子学生には、理 に適った柔道の面白さ、楽しさを知ってもらうよう親切に指導した。
後者の治安維持3団体には、職務免除で柔道に専念できるという環境を作って もらった。それまで同好会的な練習をしていたところに、急に『鬼軍曹』が現 れ、一晩で体育会的な練習方法に改めさせられたため、皆一様に戸惑いを隠せ ないようだった。若かった私の指導は手荒っぽく、相当好意的に言えば『熱血 教師』であった。
これら治安維持3団体には、これまでの一日1回の練習から一日2回(早朝と 午後)のしかも厳しい練習を課した。他の競技に比べ柔道選手の体格が余りに も貧弱で体力がなかったので、まずはここからの改革に着手した。厳しい練習 で、体格や体力を向上させ、柔道の技術面においても精神面においても、「柔
道選手というのは凄い!」と言わしめるようにし、柔道というものを世間に認 知させ、マイナーなイメージを一掃させたかったからである。 BDRの何人かの選手は素質的にも良いものを持っていたので、目に見えてレベ ルが向上していくのがわかった。それがあったからこそ厳しい練習にも耐えら れたのだと思う。いつしかBDRだけでなく、バングラデシュ柔道界全体の柔道 レベルが向上していった。
赴任当時は「柔道=セルフディフェンス」のイメージが強く、「攻撃すること を空手」、「防禦することを柔道」というような一般人の誤った考えを一掃す るため、任期半ばの8月に生徒達と一緒にTV出演し、「これが柔道だ」とい う趣旨の番組を作って放映してもらった。
また任期終了2ヶ月前の11月には日本大使館と連盟の共催で「第1回 Japan Cup柔道大会」を開催した。ある日突然、文化担当書記官の方から「10万円あ げるから、貴方の好きなように使っていいよ」と言われ、「柔道の大会が年1 回しかないので、もう一つ柔道の大会を開催して選手達の士気を高めたいの で、そのお金を大会の開催資金にさせて下さい。」とお願いしたところ、二つ 返事で快諾していただき、バングラデシュに二つ目の柔道大会が実現した。
私の提案は大正解であった。この大会が選手達のやる気にどれだけ火をつけた か計り知れない。その後、何度か「Japan Cup柔道大会」が開催されたが、残 念ながら連盟内のトラブルや不祥事等で中断されることも多く、ここ何年かは 開催されていないようだ。
○その後の発展
1980年代半ば頃から1990年代前半にかけて、歴代協力隊員の指導の成果が実ってきたこと、 また選手達に「やれば出来るんだ」という意識も芽生えてきたことから、南アジア5ヶ国 による柔道大会ではインドに次ぐ強国となった。しかしながら、近年は本格的に強化をして いる大国インドがダントツに強くなってしまったため、インド以外の4カ国がトップと 大差のニ番手争いを演じているのが実情である。
27年前はバングラデシュの選手達が海外の大会に参加するなんて「夢のまた 夢」であったが、今では海外でのアジア選手権大会や国際大会に出場したり、 審判することが何ら不思議ではなくなっている。最近バングラデシュの役員や 選手達と海外で会うことが多くなってきたことが、そのことを如実に物語っている。
今にして思えば、独立して間もない世界最貧国の一つであったバングラデシュ で、日本で生まれ育った柔道が行われていたこと、ましてイスラムの国で女性 が柔道をやっていたこと自体が凄いことであった。ただ何となく同好の志が集 まって柔道をやっていたところに、私が本格的な日本柔道を持ち込んで基礎を 築き、その後歴代の協力隊員がそれを育んできた。
今回4段を受験したアミヌール・イスラムは柔道の技術だけでなく、柔道の精 神についても実によく理解しており、今後のバングラデシュの柔道界を背負っ て立つ立派な指導者であるが、彼に続く多くの人材が育ってくれることを願う ばかりである。
昨年秋、連盟会長が前記治安維持3団体とは別のAnsar(警察予備隊)及びVDP (Village Defense Party村落防衛隊)の幹部に代わり、柔道に力を入れると いうことなので将来が楽しみである。又、現在はアジアやアフリカ諸国での海 外指導経験豊富なシニア海外ボランティアの大樅哲生7段が毎日指導されており、 バングラデシュ柔道の復活に期待したい。
私の勤務する講道館では、国際柔道セミナーを年2回開催し各国の若手指導者 の育成を行っているが、これまでバングラデシュからも男女の指導者何人かが 参加している。このセミナーは3週間のコースで行われ、朝から晩までまさに 柔道の研修漬けの生活を送ることになる。航空運賃だけは参加国負担だが、日 本国内での滞在費は全て講道館が負担している。今後もバングラデシュ柔道の 将来を担うような若手指導者の参加を待ちたい。 昨年11月に久し振りのバングラデシュ訪問を果たしたが、前回の訪問が1998年で 7年前。私はこの27年間に都合二十数回バングラデシュを訪問している。今回は昇段試 験が中心、前回はIOC(国際五輪委員会)主催のオリンピック・ソリダリティ・コースで の指導であった。
現役の若い選手や指導者達を講習会で指導するのも楽しいが、昔の教え子達に 会えるのもバングラデシュ訪問の大きな楽しみの一つである。27年前には女学 生だった生徒達が「先生、私には子供が何人いて上の子はもう高校に行ってい るのよ」、「柔道をやっているのよ」とか、治安維持3団体の男子選手達は 「先生、肩の星が幾つに増えたんですよ」と、まるで同窓会に招待された担任 教師が近況報告を受ける感じである。一瞬にしてお互い27年前にタイムスリップし、苦楽を共にした若き日に戻れる時でもある。
かつて猛者達を震え上がらせた私のことを、当時の生徒達が次の世代に大袈裟?に話し、代々それが伝えられていったものだから、いつしか私は伝説の人物 となってしまったようだ。若い人達は私に直接習ったことはないが、自分達の 先生から噂で私のことを聞いているらしく、私が道場に姿を現すと、「あ?、 この人が先生の言っていた藤田先生なんだ」というような眼差しで私を見る。
聞くところによると、BDRの選手だったマーブブル・アラムが今やBDRの幹部になり, 当時女子大生だった2人の生徒(アパラとシマ)はダッカ大学で教鞭をとっている とか。今回5段を受験したバングラデシュ柔道の第一人者である A.K.M.セリムは国際審判員のB級ライセンスを取得している(日本ではオリンピック や世界選手権大会のメダリストですら受験の順番待ちの状態)。バングラデシュ女性初の 3段取得者のNSCコーチのカムルンナハール・ヒルに続いて、今回新たに若手の女性指導者の ナヨナ・チョウドリーが3段を受験した。彼等がより上の段位を目指して受験する姿を見る のは本当に嬉しく、また逞しく感じたものである。
○おわりに
日本の柔道家で私ほどバングラデシュを訪問している者はいない。7年前まで は殆ど毎年といっていいくらい、柔道指導やIJF(国際柔道連盟)総会やアジ ア柔道連盟総会の事前打ち合せのためにバングラデシュを訪問していた。バン グラデシュは私にとって最初の海外訪問の国であるというだけでなく、指導者 として未熟であった私を育ててくれた第ニの故郷であり、バングラデシュには 特別な思いがある。
バングラデシュ柔道界は当分の間は日本の支援を必要としているが、逆に柔道 の国際会議の場では、バングラデシュはいつも日本の意見を支持してくれてい る良きパートナーでもある。バングラデシュ柔道の更なる発展を願いながら、柔道を通じた民間外交官として、微力ながらバングラデシュと日本との国際交 流の架け橋の一端を担うことができれば、私にとってこれに勝る喜びはない。
1979年に日本で初めて全日本女子強化合宿が開催されたが、私は第1回?第4 回の特別コーチを委嘱された。当時女子選手が男性と練習するという習慣はな く、強化合宿で女子選手の練習相手をする者も限られていた。私が女子選手の 練習相手に選ばれた理由はただ一点、バングラデシュで女子を指導していたか らというものであった。その後バルセロナ五輪時は全日本の女子強化委員を務 めたが、その原点はバングラデシュでの指導にあった。
昨年の4月に私は全日本柔道連盟の国際委員会委員長に就任した。国際委員会 の有力なメンバーの一人である山下泰裕氏(ロス五輪金メダリスト・国民栄誉 賞受賞者)はIJF教育コーチング理事として、或いは日本のスポーツ界を代表 する人物として精力的に活動されているが、その山下氏等と一緒に考えたのが 下記の「海外への柔道指導者派遣の目的」であリ、これを1枚の紙にまとめ、海外に出掛ける柔道指導者の必携とすることにした。
海外への指導者派遣の目的
1. 派遣先への貢献
(派遣先において柔道の普及・発展に務める) ○技術向上(指導者・競技者の育成) ○基盤整備(愛好者の育成・理解者の獲得)
2. 柔道を通しての国際交流
(柔道が派遣先と日本を結ぶ架け橋となる) ○単なる技術指導にとどまらず、柔道の心や柔道の持つ教育的価値に関する適 切な助言も行う ○柔道関係者はもとより、多くの人々との信頼関係を築く ○柔道を通して広く日本の心・文化を理解してもらい、異文化交流を推進する 柔道の役割・柔道指導者の役割 ⇒ 世界と日本の架け橋 今後も柔道を通してバングラデシュ柔道家やバングラデシュの人々と交流する機会が あるだろうが、私が果たすべき役割を再認識し、バングラデシュと日本との架け橋となりたい。 (藤田氏は1978年1月?1979年1月まで国際交流基金派遣柔道専門家として ダッカに赴任され、その後1978年?2004年までにバングラデシュを二十数回訪問されています。)
【4】バングラデシュ案内・第17回「バングラデシュの結婚式」
バングラデシュでは結婚式は特に家族の、各人の人生の一大事として、家計の 事情にはよりますが、それこそ出来うる限り盛大に祝われます。式はラマダン の時期を除き、雨期の終わる10月頃から酷暑期の始まる前の2月頃までに行われます。 会場は、昼も建物の入り口に花や布で覆われた門が作られ、夜はライトアップされるので すぐに分かります。今回私は大使館職員の娘さんの花嫁側主催披露宴に招待されて参加 してきました。
会場のレストランは人で一杯、入ってすぐの部屋のひな壇には花婿さんが、奥 の部屋の一番奥にはとても綺麗な花嫁さんが座っていました。奥の部屋は更に 混雑、当日は500人以上もの人が食事を振る舞われました。花嫁さんはまだ20 歳(花婿さんは25歳)!親戚の子供達やお祝いの言葉を述べる人達に囲まれ、緊張した面持ちでした。
結婚式は婚約式を除くと大体4日間に亘って行われます。1日目は花婿の「ホ ルード(ベンガル語で黄色、又はウコン(殺菌作用や肌をきれいにする効能が ある)の意味)」です。この日朝には花嫁の家から、「ホルード」や結婚披露 宴で花婿が着る衣服や靴等一式がきれいなパッケージに入れられて届きます。 昼頃から招待された親戚や親しい友人達は、花婿の顔にウコンやヨーグルト等 を混ぜたペーストを塗り、ミシュティ(甘いミルクベースのお菓子)を花婿に 食べさせます。「ホルード」はおばあちゃんや子供など親族友人達が踊ったり 歌ったり、楽隊を招いたり、子供から大人までが楽しめる賑やかな会です。
2日目は花嫁の家で同様の儀式が行われます。この日の朝に花嫁側の人間は市 場に行き、市場で一番大きな魚を買います。その魚は料理され、「ホルード」 で振る舞われます。花嫁も花婿側から贈られた衣装を身につけます。花嫁の 「ホルード」は、花嫁を家から送り出す性格からも、より盛大な会となります。
次が花嫁側主催の披露宴です。この日、花婿は花やリボンで飾られた車に乗っ て式場に登場し、式場の門に入る時にはお金を払う決まりです。花嫁側親族と 金額の交渉をし、交渉が成立すれば中に入ります。大体午前中に地域の「カ ジ」事務所から人を呼び、政府の定める結婚の登録・記帳が行われます。「カ ジ」はまず先に花嫁に結婚に承諾するかの意思確認をします。花嫁が同意、サ インすれば次に花婿がサインし、これで正式に結婚が成立します。この登録 は、式の前に両者が指輪を交換する婚約式で行われる場合もあります。
事後に作成される結婚の契約書「ニカナマ」には花婿が生涯のうちに花嫁に支 払うべき金額「カビナマ」(花婿・花嫁の父親が金額を決定)も記されます。これは花嫁側が許せば実際に支払う必要はありませんが、離婚の段には必ず支 払われなければなりません。
この披露宴が終了すると、晴れて結婚が成立した二人は一緒に花婿の車で、初 めて花婿の家に行きます。新しく設えられた夫婦の部屋を「バショル・ゴー ル」この日の夜を「バショル・ラート」と呼びます(この晩には花婿から花嫁 に特別の愛の証として、アクセサリーがプレゼントされたりします)。
その次に花婿の家で「ボウ・パハット(お嫁さんの作るご飯の意味)」と呼ば れる花婿側主催の披露宴が行われ、これですべての行事が終了するそうです。 これは一大行事です。さて、私は若い二人の幸せを心より祈るとともに、私に も幸せが来るように!願いました。
●本メールマガジンは、当地在留邦人の皆様及び希望者に送付しております。 本メールマガジンの配信開始・変更・中止のご希望がありましたら、編集部ま でご連絡いただければ幸いです。
●本メールマガジンに対するご意見・ご感想、日本・バングラデシュ間の各種
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発行:在バングラデシュ日本国大使館
Embassy of Japan
Plot#5& 7 Dutabash Road
Baridhara, Dhaka, Bangladesh
電話(880-2)881-0087
FAX(880-2)882-6737
http://www.bd.emb-japan.go.jp/
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