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日本・バングラデシュ交流メールマガジン(第22号・2004/12/9)
-日本とバングラデシュの橋渡しのために-
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□ 目次 □
【1】本メルマガが冊子になりました!!
【2】堀口大使メッセージ「バングラデシュと観光振興」
【3】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●カリダス・コルモカル氏個展(12月9?20日・ダッカ)
●日英開発援助ハイレベル共同訪問(12月12・13日・ダッカ)
●故ジャラール駐日公使独立戦争コレクション展(12月1?16日・ダッカ)
[これまで]
●桜井日・バ議員連盟会長の訪問(12月6?8日・ダッカ)
●平成15年度WFP経由食糧援助引渡式(12月6日・ダッカ)
●日本語能力検定試験の実施(12月5日・ダッカ)
●平成16年度青年海外協力隊(JOCV)第2次隊員の着任(12月3日・ダッカ)
●大使講演会「我が国の対バングラデシュ外交の課題」(12月2日・ダッカ)
●洪水災害に対するUNICEF経由緊急無償視察(11月29日・ブラマンバリア県)
●JICA/AAN砒素プロジェクト最終セミナー(11月28日・ダッカ)
[おしらせ]
●国際機関邦人職員候補者募集
【4】特別寄稿「主人の旭日双光章の受賞に際して」(フセイン営子氏)
【5】バングラデシュ案内・第15回「ノンドン・パーク訪問」
【1】本メルマガが冊子になりました!!
12月2日に開催した在留邦人の皆様向けの大使講演会の機会に、本メルマガの これまでの堀口大使メッセージ、駐バングラデシュ歴代大使の証言、バングラ デシュ関係者の特別寄稿、そしてバングラデシュ案内を「日本とバングラデ シュの橋渡しのために」と題する小冊子にまとめました。是非ダウンロードし てご覧下さい。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/business/pdf/sassi.pdf
【2】堀口大使メッセージ「バングラデシュと観光振興」
昨年着任して間もなく、バングラデシュは観光にもっと力を入れるべきではな いかと思い、同年7月、海外投資家商工会議所(FICCI)において、以下の内 容のスピーチを行いました。
第1は、ダッカ着任後に会った多くの外国人が、自分の目で見たバングラデ シュは事前の予想よりはるかに良かったと云っているが、このギャップを埋め ネガティブなイメージを改善することは、バングラデシュへの誇りを生み、ま た海外民間投資の誘致にもプラスになること。
第2に、このイメージの改善を図る上で、観光は多くの外国人に自らの目でバ ングラデシュの実情を観察し、帰国後周囲の多くの人たちに伝えることを可能 にする点でとくに有効な手段であること。
第3に、観光は多くの国において外貨獲得、雇用機会創出を通じた国民経済発 展の重要なエンジンとなっており、バングラデシュとしてももっと重視すべき こと。
第4に、観光は、インドやタイによる観光を通した固有文化の売り込みの成功 に見られるように文化面でも重要であり、バングラデシュ固有の音楽、舞踊の 発展を通して民族意識の強化および國のイメージ作りの上で大きな役割を果た しうること。
第5に、国立博物館を見たが、観光客にとっても魅力あるものとすべく、照 明、陳列方法等改善の余地が大きいこと。
第6に、観光振興のためには、文化活動の振興、観光客の安全のための治安改 善、観光地の整備、インフラの整備、ダッカの美化、交通ルールの抜本的改善 が必要であること。
第7に、以上のことを実現する一つの提案として、バングラデシュ政府は、例 えば2年後の2005年をバングラデシュの観光元年と宣言し、2004年末までに治 安改善、ダッカ美化、交通状況の改善を実現すべく、全ての省庁を動員した全 国的キャンペーンを起こしてはどうか。全国民を動員することにより国民的一 体感も育成され、運動が成功すれば、国民的誇りも増すことになるのではない か。
以上の私のスピーチに対し、当地マスコミは好意的に報じ、その後も各紙には 観光の重要性を説く記事が時々掲載されていますが、肝心の政府の反応は未だ 必ずしも十分ではないので、引き続き政府、民間関係者への働きかけを続けた いと考えています。
最近、明年1月のSAARC首脳会議を控え、治安の改善、ダッカの美化が急ピッ チで進んでいますが、政府による観光振興重要性の認識が高まれば、他の面で も大きな進展が期待できるのではないかと思われます。
【3】最近の日本・バングラデシュ関係 [これから]
●カリダス・コルモカル氏個展(12月9?20日・ダッカ)
12月9日(木)?20日(月)まで、ウッタラのギャラリー・Kayaにてカリダス ・コルモカル氏による和紙を用いた作品、デジタル・リトグラフ、エッチング 等約100点を展示する個展「Alluvial Faces-II」が開催されます。同氏は国際 基金フェローとして東京芸大で浮世絵や木版画の技術を研究しました。また和 紙にも深い関心を持っています。9日午後の開会式で堀口大使は以下の挨拶を 行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/45kalidas091204.html
□Galleri-Kaya□
9日初日を除き毎日午前11時?午後8時まで開催
住所:House 20 Road 16 Sector 16 Uttara Dhaka 1230 Bangladesh
電話:895-9453
Email:karukrit@bdcom.com
●日英開発援助ハイレベル共同訪問(12月12?13日・ダッカ)
12月12日(日)?13日(月)バングラデシュの開発分野における日英協力の強 化と今後の方策の検討を目的として、日本より兒玉経済協力局審議官、英国よ りSuma Chakrabarti英国国際開発省(DFID)次官 が当地を訪問し、政府、民 間セクター、有識者等の関係者と意見交換を行います。13日午後6時半より ショナルガオン・ホテルで共同記者会見を行う予定です。
●故ジャラール駐日公使独立戦争コレクション展(12月1?16日・ダッカ)
12月16日まで、ダッカ市セグンバギチャの独立戦争博物館にて、故シェイク・ アーメド・ジャラール元駐日公使が収集した、独立に関する新聞記事・写真等 の特別展示会が開催されています。1日の特別展開会式で、堀口大使は以下の 挨拶を行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/44jalal091204.html
ジャラール氏は1959年からの文部省奨学金を得ての日本留学を含め、ジャーナ リスト、外交官、駐日公使として計18年間を日本で過ごされました。2002年の 日・バ外交関係樹立30周年記念時には、バングラデシュ独立への日本の貢献に 関する著書を発表する等、その生涯を通して両国の架け橋として、日・バ関係 増進に大きな功績を残されました。
ジャラール氏の書籍は大使館広報文化図書館にて閲覧可能です。ご関心のある 方は当館・河野までお問い合せ下さい。電話番号:881-0087(内線151)
hidemi.kohno@mofa.go.jp
□独立戦争博物館□
休館日:日曜日
開館時間:午前10時?午後5時
入場料:3タカ
[これまで]
●桜井日・バ議員連盟会長の訪問(12月6?8日・ダッカ)
12月6?8日、桜井新(さくらい・しん)日本・バングラデシュ議員連盟会 長、椎名一保(しいな・かずやす)同事務局次長(両名共に参議院議員)、長
・桜井議員秘書が当地を訪問され、アーメド大統領、ジア首相、シルカール国 会議長、カーン外相、ホセインBNP院内総務他と会談し、さらにダッカ商工会 関係者と懇談されました。桜井議員は近年は毎年バングラデシュを訪問されて います。
●平成15年度WFP経由食糧援助引渡式(12月6日・ダッカ)
12月6日、ダッカにて、堀口大使、ユスフ食糧災害対策大臣及びクッツWFPバ ングラデシュ代表により、平成15年度食糧援助(WFP経由)で調達された小麦 の引渡しが行われました。本件協力によりバングラデシュに対して約5,665ト ンの小麦が供与されました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/pdf/Japan_WFP061204.pdf
●日本語能力検定試験の実施(12月5日・ダッカ)
12月5日、ダッカ大学現代語学研究所にて、2004年度日本語能力検定試験が実 施され、計109名が2級から4級までの試験に挑戦しました。来年度の試験も 12月第1日曜日に行われる予定です。試験の詳細等に関しては大使館広報文化 班・河野(881-0087:内線:151)までお問い合せ下さい。
●平成16年度青年海外協力隊(JOCV)第2次隊員の着任(12月3日・ダッカ)
12月3日、平成16年度JOCV第2隊員12名がダッカに着任し、7日、堀口大使を 訪問して意見交換が行われました。同隊員はダッカにてベンガル語の研修を受 けた後、それぞれの配属先に派遣されます。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/news/pr/46pressjocv031204.html
●大使講演会「我が国の対バングラデシュ外交の課題」(12月2日・ダッカ)
12月2日、「開かれた外務省」の一環として、在留邦人の皆様に、日本政府及 び大使館の活動、日本とバングラデシュの政治、経済関係、文化交流、在留邦 人の方々の治安・安全対策に関する最新の総合情報をご提供させて頂くべく、 堀口大使による講演会を実施しました。当日は約50名の参加者の皆様から貴重 なご意見をお伺いすることができました。
今回の席上出された主なご質問は、日・バングラデシュ間の自由貿易協定 (FTA)の実現可能性、2年後の当国総選挙の趨勢、当国における中国の資源 ・エネルギー外交、日本の技術や得意分野で日本を中核に据えた援助をする必 要性、対バングラデシュODA増に向けての日本国内への働きかけの適否等でし た。
また、主なご要望は、日本企業向けの工業団地の設立への支援、当地在留邦人 活動の拠点としてのジャパン・クラブの設置への協力、日本の文化発信の中心 となるセンターの設置等でした。
講演・意見交換の内容は次の通りです。
(講演)
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/content/lecture041202.html
(意見交換)
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/content/views041202.html
(パワーポイント資料)
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/pdf/pawapos.pdf
●洪水災害に対するUNICEF経由緊急無償視察(11月29日・ブラマンバリア県)
11月29日、堀口大使、ギーシングUNICEFバングラデシュ代表他が、ブラマンバ リア県にて実施されている、洪水災害に対する緊急無償資金協力(UNICEF経 由)の活動状況の視察を行いました。本件協力では飲料用井戸の浄化、修復、 トイレの設置等が行われています。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/news/pr/pdf/joint_field_visit041129.pdf
●JICA/AAN砒素プロジェクト最終セミナー(11月28日・ダッカ)
11月28日、JICAとアジア砒素ネットワーク(AAN)による移動砒素センター・ プロジェクトの最終セミナーがブイヤン地方自治農村開発共同組合省大臣、堀 口大使他が参加して開催されました。未だ試行錯誤の取り組みが続く砒素対策 に関し、プロジェクトから学んだ知見・課題を、政府及びドナーへの提言及び 教訓として残すべく、関係者が活発な意見交換を行いました。堀口大使は以下 の挨拶を行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/43sph_jica_aan281104.html
2002年1月から開始された本プロジェクトでは、本年12月の協力期間終了まで の間に、住民への啓蒙活動、住民を取り込んだ代替水源の設置と維持管理手 法、砒素中毒患者の特定等、現地住民の視点に立った協力を展開してきまし た。AANのウェブサイトは次の通りです。
http://www.asia-arsenic.jp
[おしらせ]
●国際機関邦人職員候補者募集
2005年度の国際機関邦人職員(アソシエート・エキスパート等)派遣候補者選 考試験募集要項が発表になりました。関心のある方は以下のサイトにある募集 要項を参考に応募をお願い致します。なお応募締切は明年4月1日です。また 応募書類の提出先は外務省国際機関人事センター宛にお願い致します。
http://www.mofa-irc.go.jp
【4】特別寄稿「主人の旭日双光章の受賞に際して」(フセイン営子氏)
今回、ベンガル人である主人の働きが日本政府に評価され、このような名誉な 受賞に至ったことは、日本人の妻として、とてもとても嬉しいです。私も多く の方から、「内助の功」とお褒めを受けました。私はこの国に来て33年。母国 より長くバングラデシュで暮らしています。でも、私は今でも主人に守られ指 図されて?バングラデシュの女性のように?暮らしています。私の「内助の 功」を褒めて頂くとしたら、主人に迷惑をかけずに今日まで夫婦でいられたこ とくらいです。
今更言う事でもないのですが、私は親の反対、周囲の心配を振り切って結婚し ました。そして発展途上国といわれていたこの国へ、2人の乳幼児を連れて永 住の覚悟で参りました。
結婚する前から、博士課程が終わったらすぐ国へ帰る、という主人の決心を聞 いていたものですから迷わず従ったのですが、当時はたまたま独立戦争中。本 当は危険だったのです。でも私達はラッキーでした。すぐ終戦を迎えて、バン グラデシュが独立。主人はやりがいのある仕事が次々と目の前に現れてきて、 いつも忙しくハッスルしていました。
私はというと、異国・バングラデシュの生活は、習慣も価値観も生活水準も違 いすぎです、全てにギブアップ。主人に頼って従うだけでした。ただ結婚を反 対した人達に「ホレみろ」と言われないように、サポートしてくれた人達には 心配をかけないようにと、意地と我慢がありました。そしてあの頃はダッカに 日本人はあまりいませんでした。どこへ行っても注目の的です。私は私なりに 日本人妻の名を汚さないように、と気を付けていたので気が張っていました。 そんな事で私は精神的に強くしていられました。それが良かったのでしょう、 落ち着くまでいろいろありましたが、すべて乗り切れました。病気にもなりま せんでした。今も医者いらずで、私はこの点を主人からいつも感謝されていま す。
33年を振り返ると、いろいろな思い出があります。次々と問題が起きるので、 過ぎ去った昔の、大変だった日々を懐かしむ余裕はまだないのですが、今回の この主人の叙勲で昔を少し思い出しました。
戦争が終わってバングラデシュが独立。日本政府はすぐ独立国として承認しま した。日本とバングラデシュの国際結婚をしている私たちにとっては、両国の 関係がプラスに向かっているこのニュースに大感激。日付は覚えていませんが ダッカ日本人会が発足し、私は第一回の総会に誘われて出席させてもらってい ます。
その年の天皇誕生日パーティーにも私たち夫婦はご招待を受けました。会場は 今のシェラトンホテル、主人は羽織袴を着て、私はバングラデシュの女性の正 装で出席。会場で注目を浴びましたが、あの時の私たちの生きがいは日本バン グラデシュ間の絆・友情だったので、恥ずかしい気持ちは全然起きませんでし た。あの時駐在していらした日本人は少なく、初代の小山田大使もまだ着任さ れていませんでした。
独立を勝ち得たとはいえ、戦後のバングラデシュはひどかったです。世界の最 貧国の一つとレッテルを貼られてしまいました。でも私は戦後の日本を知って いるし、「嫁ぐ国は発展途上国」という事を承知で結婚しているので、日常生 活が不便なのは当たり前との覚悟がありました。物(日本での生活必需品)が なくても辛いとは全然感じませんでした。むしろ電気や水道・ガスが設置され ていて驚き感謝したものです。それに私たちは外国帰りです。テレビも冷蔵庫 も買い揃えられ、周りの人達よりは恵まれた生活をしていました。
でも数回、迷う気持ちを持ったことがあります。日本人会でのお付き合いが始 まってからです。婦人部では会員が少なかったので、会員の入・退会がある度 にパーティーを開いていました。その席で帰国される方のスピーチに「皆様申 し訳ございません。一足先に帰らせていただきます。皆様も一日も早くご帰国 の日が訪れますようお祈り致します。」というのがありました。ショックでし た。でも「そうだわ。多くの日本人の方は私と違って来たくてこの国に来られ たんじゃあない、この国のこの状態では帰りたくなるのは当たり前。」と納 得。
でも私は息子たちの将来を考えると意思が緩んでしまうのでした。「最高学位 習得の主人は日本にだってアメリカにだっていいお仕事がある筈、そこの良い 環境で育児・教育をしたほうが息子たちのためには・・・。ここでは・・ ・。」母親の私は時々自問自答するのでした。当時の主人は自国の発展のため にやることが一杯で忙しく、私の迷っている気持ちを察する余裕も、聞く耳も 持っていませんでした。
落ち込んでいたその頃、1975年。皇太子同妃両殿下がネパール公式訪問の際 ダッカに立ち寄られました。日本人会員として私も飛行機のすぐ近くでお出迎 え、迎賓館での接見の儀、そしてお見送りに参列させていただけました。そこ で私は幸運にも美智子妃殿下から3回もお言葉を掛けて頂き、私個人の事も聞 いて頂けました。最後の日の空港での「末永くお幸せにね。」の美智子妃殿下 の励ましのお顔・お言葉には涙が出るような感激を受けました。その時の慈愛 溢れる美智子妃殿下のお顔・お声はあれからずっと頭から耳から消えずにいま した。その年はクーデターが起きたりする程に政治・経済・治安が乱れていた のですが、妃殿下のお言葉で私は頑張れたのだと思います。
今回の日本での叙勲授賞式典では「天皇陛下拝謁」があったので、その時のス ナップ写真を数枚ポケットに忍ばせて行きました。皇后様にお写真をお見せし ようなんて、そんな恐れ多い期待は持って居なかったのですが、それでももし かしたら・・・・・で、その時は「お陰様で幸せにしております。」と感謝申 し上げたかった。―――皇后様はお出ましなさりませんでした。
それから主人の叙勲で親孝行ができたらしく、これは大変嬉しいことでした。 私の結婚では母には心配をかけ、涙をずいぶん流させたらしいのですけれど、 この名誉であの頃の心痛が帳消しになったようです。親戚・隣人に賞賛され て、88歳の母はとても嬉しそうでした。
これからも主人に日本とバングラデシュの為に、そして私の為にも良いお仕事 をしてもらいたいです。彼はいつも日バ親善と日バ協力をメインに考えて行動 しています。皆様のサポートをどうぞ宜しくお願い致します。
【5】バングラデシュ案内・第15回「ノンドン・パーク訪問」
私は約2年半の当地での生活の経験から、バングラデシュ人は家族や親戚、友 人と過ごすことをとても大切にしており、特に父親の家族サービスへの心配り は素晴らしい、という印象を持っています。そしてダッカ市とその近郊には意 外にも3つも遊園地があります。
先ごろ、そのうちサバールにある遊園地「ノンドン(ベンガル語で「とても美 しい場所」の意味)・パーク」に行ってきました。オープンは昨年の8月で す。入場ゲートで、チケットを購入し、とりあえず遊園地の全景を知ろうと、 ケーブルカーに乗りました。
4人乗のゴンドラに乗ると、眼下に足漕ぎのボート等が浮かぶ池、コースター 等のアトラクションが見え、次に奥の「ウォーターランド」が見えてきまし た。波のあるプール、大小のウォーター・スライダー、小さな子供用の水場、 プール中央の上にしつらえられたバケツなどから水が落ちてくる仕掛けのプー ルなど、楽しそうな設備がそろっていました。
その時は丁度ラマダンの初日ということで、プールはがらがらでしたが、数名 がかなり大きな波の押し寄せるプールで遊んでいて、大きな浮き輪を手に波に 立ち向かっていました。女性は水着ではなくサルワル・カミーズを着用してい て、サリー姿の女性は水に濡れるのも気にせず、波打ち際で歩いていました。 遊園地の外側には森や木々に囲まれた池などがあり、夕日を受けてなかなか素 敵な眺めでした。
アトラクションはどれも予想を裏切る楽しさでした。例えば芋虫型の乗り物が 軽く上下しながらぐるぐる回るものがあったのですが、お菓子を手に、余裕で 座っていた友人は、結局お菓子を放り出してバーにしがみつきました。
「アイスランド」という名前の付いたテントがありました。中には、厚さ20セ ンチ程の氷で出来た台があり、壁に氷原の絵が描かれています。これから何が 始まるのか?と思っていると暗くなり、「炎のランナー」の音楽がかかりまし た。それから、突然スモークが凄い勢いで吹き出してきました。音楽は一転し て吹雪が吹き荒れる音になり、雷が鳴り、雪が降り、雹らしき物も体にあたり ました。その後は、終了の笛が鳴るまでディスコタイム(?)です。雪の降ら ないこの国ならではのアトラクションですね。面白い!
大きなウォーター・スライダー(2種類)もあり、ボートに乗ってすべりま す。結構なスピードで楽しいのですが、二人乗りで前に座っていた私のお尻は
びっちょり濡れました。1枚のチケットで2つのスライダーを楽しめます。1 回目は曲がるコースでしたが、2回目は直線コース。
結構スピードが出て、最後の所でスライダーにぐっと角度が出るところはとて もスリリングでした。気を良くして下りると、待っていた係員のお兄さんが、
「ねえちゃん重いから、一番遠くまで来たよ!」なんて、大きな声で言ってく れました。
□ノンドン・パーク□
住所:Nandan Park, Baroipara Savar
電話:0189-261064
休園日:なし(年中無休)
開館時間:午前11時?午後9時まで(入場は8時まで)
入場料金:Water Park/Dry Park(アトラクション料金込み)200タカ
Dry Parkのみ(アトラクション料金込み)100タカ
注意事項:飲食物の持ち込み禁止(売店は中にあります)。
●本メールマガジンは、当地在留邦人の皆様及び希望者に送付しております。 本メールマガジンの配信開始・変更・中止のご希望がありましたら、編集部ま でご連絡いただければ幸いです。
●本メールマガジンに対するご意見・ご感想、日本・バングラデシュ間の各種 交流事業等今後掲載する記事・情報に関するご示唆等をお待ちしております。 また、本メールマガジンの特別寄稿を執筆頂ける方を(自薦・他薦とも)募集 しております。お気軽に編集部までご連絡いただければ幸いです。
●バックナンバーは次のウェブサイトにてご覧になれます。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/mailMagazine/index.html
●編集部のメールアドレスは次の通りです。
mail@embjp.accesstel.net
発行:在バングラデシュ日本国大使館
Embassy of Japan
Plot#5&7 Dutabash Road
Baridhara, Dhaka, Bangladesh
電話(880-2)881-0087
FAX(880-2)882-6737
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