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日本・バングラデシュ交流メールマガジン(第 20号・2004/11/10)
−日本とバングラデシュの橋渡しのために−
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□ 目次 □
【1】堀口大使メッセージ「 モエナマティ墓地における戦没者慰霊祭 」
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●日・世銀共同開発セミナー (11月22日・ダッカ、東京)
●「和太鼓はぐるま」公演 (11月23日・ダッカ)
●JICA・ANN共催ワークショップ (11月28日・ダッカ)
●南アジア5カ国演劇コラボレーション( 11月下旬から・東京他)
●堀口大使講演会( 12月2日・ダッカ)
[これまで]
●国際シンポジウム「日本の ODA:課題と展望」(11月5日・東京)
[おしらせ]
●イード期間中の大使館休館日 (11月11日〜16日)
●大使館別館テニスコート(イード期間中の開放について)
【3】特別寄稿「バングラに暮らして 15年」
(チッタゴン日本人会会長、馬場智樹氏)
【1】堀口大使メッセージ「 モエナマティ墓地における戦没者慰霊祭 」
11月6日、モエナマティの英連邦墓地において行われた戦没者慰霊祭に出席しました。
昨年、当地に着任してすぐコミラを訪ねた際、よく手入れされた芝生の斜面に陽光を浴
びて数百の墓碑が整然と並ぶ英連邦墓地の美しさに目を見張りましたが、さらに右手の
一角に24名の日本人兵士の墓碑を見ていくつかの感慨にとらわれました。
日本は明治維新によって近代化を開始し、日清、日露の戦勝を経てわずか半世紀の間に
五大国の一つに列せられるに至りましたが、この過程で、例えば東大工学部を創設した
ヘンリー・ダイアーなど多くの英国人に沢山のことを教えて貰い、また、日英同盟によ
って国際社会における地位の向上に英国から大きな支援を得ました。とくに、日英同盟
の重要性は、第一次大戦後米の圧力を受けるなどして同盟を廃棄すると間もなく日本外
交は漂流を始め、ついに無謀な太平洋戦争に突入し、全てを失ってしまったことを見て
も分かります。
太平洋戦争勃発と同時に日本は英国を痛打し、戦争が終了した後、英国は数世紀にわたっ
て営々と築き上げた殆どの英植民地の放棄を余儀なくされましたが、英国から見れば、
日本がしたことは文字通り「恩を仇で返す」ものでした。
それだけに、この美しい墓地に、ビルマ戦線から捕虜として当地に連れてこられた恨んで
も余りあるはずの日本人兵士を、一緒に埋葬してくれた英国人の寛容さに脱帽せざるを得
ない思いでした。
また、十数年前私がミャンマー大使館に勤務していた際、太平洋戦争末期インパール作戦
で敗れた日本軍が マンダレーを通ってヤンゴンに敗走する途中、十数万といわれる日本兵
士が飢え、病気、あるいは戦闘で命を落としましたが、その時の日本兵士の遺骨が何十年も
経って土地の農民によって発見され、大使館に届けられたことが数回ありました。何十年も
野原に捨て置かれた彼らと比べ、美しい墓地に埋葬された 24名の兵士の霊は遙かに幸運であ
ると思ったことでした。
今回出席した慰霊祭の式次第は、墓地正面のポールの周囲に、参列した英、加、豪、 EU、ノ
ルウェー、印、パキスタンの大使がそれぞれ持参した花輪を置き、英国人の女性牧師とバン
グラデシュ人のイマムがそれぞれお祈りをし、ラッパを合図に一分間の黙祷をしていったん
終了します。そして、全員が墓地を半周して日本人兵士の墓碑のある一角に移動し、日本大
使夫妻が花輪を捧げ黙祷するのをその他の参列者が見ているというものでした。
このような式次第は、おそらく、この慰霊祭に日本が招待され始めたのが大分年が経ってか
らであったため、日本関係の式次第が付け足し的になったこと、また、キリスト教牧師とイ
スラム教イマムの礼拝に、仏教徒の多い日本兵士を対象に含めることは適当ではないと判断
したことなどの事情があったものと思われます。
その理由はともかく、勝者と敗者が同じ墓地に埋葬されながら、戦後 60年も経って慰霊式は
別と言うのは、今日の日英の緊密な協力関係から見ても実情にそぐわないとの印象を受けま
した。英大使にその印象を話したら、自分も奇異に感じたので、その旨の書簡を貰えれば本
国政府に取り次いでみたいと述べていました。日本兵士の霊が、英連邦の兵士の霊とととも
に恩讐を越えた平和の祈りに加えられれば、無念の思いでなくなった同胞の魂が少しでも癒
されることになるのではないかと思いました。
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●日・世銀共同セミナー (11月22日・ダッカ、東京)
11月22日(月)に、日本の国際協力50周年を記念して、在バングラデシュ日本大使館と世界銀行ダッカ及び東京事務所は、ダッカと東京をテレビ会議で結び、セミナーを開催いたします。現場で今、何が起きているかを報告し、バングラデシュ発展の将来展望を模索する内容となる予定です。
当日は、カーン・バングラデシュ財務次官、アベッド BRAC創設者・会長の出席も予定されてい ます。ぜひ、ふるってご参加いただきますようお願いいたします。
日時: 2004年11月22日(月)午後2時〜4時(日本時間)
(午前 11時〜午後1時(バングラデシュ時間))
場所:(東京)世界銀行・東京開発ラーニングセンター
東京都千代田区内幸町 2-2-2富国生命ビル10階
(地図 http://www.jointokyo.org/jp/directions/jsp)
(ダッカ)世界銀行ダッカ事務所
使用言語:英語(東京会場のみ日本語への同時通訳つき)
参加費:無料
問合せ先:(東京)世界銀行東京事務所 担当 :岩崎・丸山
電話: 03-3597-6650、FAX:03-3597-6695
(ダッカ)在バングラデシュ日本大使館 担当:加山
電話 :+880-2-881-0087、FAX:+880-2-882-6737
URL: http://www.worldbank.or.jp/02event/01seminar/seminar_top.html
●「和太鼓はぐるま」公演 (11月23日・ダッカ)
日本大使館とシルポカラ・アカデミーとの共催で、 11月23日(火)19:00より、オスマニ・メ モリアル・ホールにて、「和太鼓はぐるま」による和太鼓公演を行います。
昨年はバングラデシュ3都市で公演が行われ、大変好評でした。
お問い合わせは、大使館広報文化班ま。
information@embjp.accesstel.net
● JICA/AAN移動砒素センタープロジェクト最終セミナー(11月28日・ダッカ)
11月28日(日)10時より、標記プロジェクトの最終セミナーがシェラトンホテルで開催されます。
2002年1月から開始された本プロジェクトは、本年12月の協力期間終了までの間に、住民への啓 蒙活動、住民を取り込んだ代替水源の設置と維持管理手法、砒素中毒患者の特定等、現地住民 の視点に立った協力を展開してきました。
本セミナーは、未だ試行錯誤の取り組みが続く砒素対策の中で、本プロジェクトから学んだ知 見及び課題を、バングラデシュ政府及びドナーへの提言及び教訓として残すべく、幅広い関係 者を招待して開催されるものです。
なお、本セミナーには、ブイヤン地方自治農村開発共同組合省大臣、堀口日本国大使等、ハイ
レベルが参加する予定です。
( JICAバングラデシュ事務所のウェブサイト)
http://www.jica.go.jp/bangladesh/index.html
( AANのウェブサイト)
http://www.asia-arsenic.jp
●南アジア5カ国演劇コラボレーション( 11月下旬から・東京他) 11月25日(木)〜27日(土)に東京、12月1日(水)・2日(木)に京都、2005年1月6日 (木)・7日(金)にインドのデリーにて、壮大な旅の果てにムガル帝国を開いたバーブルの 回想録をテーマに、バングラデシュ、インド、スリランカ、ネパール、パキスタンの気鋭の演 出家、俳優、ダンサー、音楽家、映画作家が合同作品を発表します。
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/news/0409/09-02.html
●堀口大使講演会( 12月2日・ダッカ)
12月2日(木)午後5時より堀口大使による講演会を開催いたします。日・バングラデシュ政 治、経済関係のみならず、バングラデシュ政治情勢の動向、治安・安全対策、文化交流等、幅 広くお話をする予定です。場所等詳細については追ってご連絡いたします。
[これまで]
●国際シンポジウム「日本の ODA:課題と展望」(11月5日・東京)
11月5日(金)、国際開発高等教育機構(FASID)と外務省との共催で、国際シンポジウム「日 本のODA:課題と展望/日本の新しい援助のあり方を求めて」が東京・国連大学ビルで開催され ました。
バングラデシュから、前ダッカ交通調整局長官カムルル・イスラム・シディキ氏が出席し、彼 の経験に基づいた開発のための制度・能力構築について講演を行いました。
詳細はバングラデシュ・モデルのホームページへアクセスしてください。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/index.html
また、 FASIDのウェブサイトは以下の通りです。
http://www.fasid.or.jp/index.html
[おしらせ]
●イード期間中の大使館休館日 (11月11日〜16日)
在バングラデシュ日本国大使館はイスラム教のお祭り「イード」等のため、 11月11日(木)から 16日(火)までお休みとさせていただきます。あらかじめご了承ください。
●大使館別館テニスコート(イード期間中の開放について)
大使館別館テニスコートは、現在( 12月中旬までのインターリーグ期間中)、平日は日・月・ 水曜日の午後6時から10時まで、休日は金曜日午後1時から10時まで、土曜日は朝午前8時か ら午後1時まで・午後6時から10時まで、当地在留邦人に開放しております。
イード期間中( 11月11日〜16日)は、これに加え平日の日中も当地在留邦人に開放し、以下の 通りとさせていただきますのでお知らせ致します。
11月11日(木) 午前8時から午後6時まで
11月12日(金) 午後1時から 10時まで(変更なし)
11月13日(土) 午前8時から午後1時まで
午後6時から 10時まで(変更なし)
11月14日(日) 午前8時から午後 10時まで
11月15日(月) 午前8時から午後 10時まで
11月16日(火) 午前8時から午後6時まで
(なお、テニスコートを管理しているマーカー(モニールさん)は、平日の日中は不在です。また、 14日から18日までイード休暇のため不在です。)テニスコートの使用に際しては、事前登録が必要です(入館のための登録証を発行しています)。ご質問等ございましたら、大使館の総務班までご連絡ください。
【3】特別寄稿「バングラに暮らして 15年」
(チッタゴン日本人会会長、馬場智樹氏)
まず始めに簡単な自己紹介をさせていただきます。私は、この国の輸出加工区(チッタゴン EPZ)に日本向け肌着の縫製工場を15年前に設立し、それ 以来ずっと当地に駐在しています。
この 15年の間には、超大型サイクロンに見舞われて、チッタゴン加工区が全部浸水したり、銀行が ある朝突然倒産したり、ハルタルと呼ばれるゼネラルストライキが荒れて、街中で銀行やバスが燃 やされたりと、日本では信じられないような色々な事がありました。今この15年を振り返ってみる と、無事今でも操業出来ているのが奇跡のような気もします。
今回は、この 15年のバングラ暮らしの中で 弊社で働いているワーカーの発言で今も忘れられない ものを2、3紹介したいと思います。
弊社のワーカーですが、工場では無断欠勤が多いため特別の理由が無い限り休みを認めません。そ んな中で、あるワーカーが田舎で父親が病気になった、見舞いに行くので 1月休ませて欲しいと言っ てきました。見舞いに行くのは構わないが1ヵ月は長い、お金も必要だろうし ずっと傍についてい ても直るわけではないだろうと言うと、お金も必要だけど 家族が病気の時に傍についていられな いくらいなら、お金は不要ですと、これには思わずうなりました。分かった、それなら行っておい でと言うと、お金が無いので貸してくださいと…
また、あるワーカーは、田舎から親戚が来るので来週休ませて欲しいと言ってきました。その理由で はだめだと言うと、現場に戻り 1時間位して又事務所に来て今度は来週熱が出るので病欠させて欲し い、現場でずっといい方法を考えていたのでしょう。このままでは仕事にならないので許可しました。
最後に、創業間もないころ私の部屋にはテレビもありませんでした。それを知ったあるワーカーが、ボスはまずテレビを買え、我々の給料を上げるのはその後でいい、ボスがこの国が嫌になって帰って しまったらそのほうが私たちは困るからと。
気が狂ったような運転、進まない交渉ごと、いろいろ問題はありますが、この国に進出して本当によ かった。日本に一時帰国しても戻ってくるとほっとする今日この頃です。
●本メールマガジンは、当地在留邦人の皆様及び希望者に送付しております。本メールマガジンの配信開始・変更・中止のご希望 ありましたら、編集部ま でご連絡いただければ幸いです。
●本メールマガジンに対するご意見・ご感想、日本・バングラデシュ間の各種 交流事業等今後掲載する記事・情報に関するご示唆等をお待ちしております。 また、本メールマガジンの特別寄稿を執筆頂ける方を(自薦・他薦とも)募集 しております。お気軽に編集部までご連絡いただければ幸いです。
●バックナンバーは次のウェブサイトにてご覧になれます。
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発行:在バングラデシュ日本国大使館
Embassy of Japan
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FAX(880-2)882-6737
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