| English (英語) | サイトマップ 
Top > メールマガジン > 日本語の最新号及びバックナンバー
日本語の最新号及びバックナンバー


=================================
日本・バングラデシュ交流メールマガジン (第 9 号・ 2004/06/10 )
? 日本とバングラデシュの橋渡しのために ?
=================================

□ 目次 □

【1】堀口大使メッセージ「二つの絵画展示会」

【2】最近の日本・バングラデシュ関係

[これから]
● バングラデシュ開発援助勉強会(6月 13 ・ 23 日・ダッカ)
● サイクロンシェルター署名式(6月 17 日・ダッカ)
● 詩人白石かずこ氏とアミヌル・ラーマン氏による詩本の発表会・朗読会
(6月 17 日・ダッカ)
● アジアの写真家たち 2004 ・バングラデシュ展(5月 18 日〜6月 17 日・東京)

[これまで]
● 日本トレードショー開催、日本・バングラデシュ商工会議所 (JBCCI) 設立
(6月8〜 10 日・ダッカ)
● バングラデシュ開発援助勉強会(6月2日・ダッカ)

[おしらせ]
● 日本・バングラデシュ交流メールマガジン英語版の創刊
● 対バングラデシュ援助年間予定表

【3】特別寄稿「バングラデシュの『日本のバス』」

(豊田通商・ダッカ駐在員事務所長:阿辺剛氏)

【4】駐バングラデシュ歴代大使の証言・第4回(第 12 代大使:小林二郎氏)

「バングラデシュ:総選挙に思う」

【5】バングラデシュ名所案内・第5回「ラルバーグフォート訪問」


【1】 堀口大使メッセージ「二つの絵画展示会」

【2】

バングラデシュに来て驚いたことの一つは、絵画展示会の数の多いことであり、毎週ダッカのどこかのギャラリーで、個展や複数の画家の展示会が開かれています。私のところには多数の展示会の開会式への招待状が来ますが、時間の許す限り行ってみることにしています。先日も同じ日時に二つの展示会への招待を受けたので、先にウッタラに新しくできたギャラリーでの展示会、「 50 名の有名画家の作品展」を見に行きました。

日本留学組のキブリア画伯やダッカ大学のユヌス教授などの作品とともに、必ずしも未だ有名とは言えない若い画家たちの作品も並んでいました。先輩の画家たちが若い画家を世に売り出すべく協力することは、バングラデシュの絵画界の発展のために良いことですし、また「新興地」ウッタラに新しいギャラリーができたことも、ウッタラの発展を示すものであり結構なことだと思いました。

次に、ダンモンディーのギャラリーで開催が始まるストリート・チルドレン「トーカイ」を描いた作品展示会に行ってみました。これはダッカ大学芸術学部のラフィクン・ナビ教授が、架空の孤児「トーカイ」の目を通して社会を風刺すべく、 25 年間にわたって描いた作品を展示したものです。「トーカイ」というのはベンガル語で「モノを拾う人」の由ですが、「トーカイ」は、坊主頭でロンギだけまとった上半身裸の、栄養失調でお腹が出ている少年で、社会から顧みられない貧しい者の代表という設定です。

同教授が 25 年前主要紙に「トーカイ」の連載を始めた当初は、白黒のセリフ入りの風刺画でしたが、その後水彩画と風刺画を融合する画法を開発し、都会の片隅で大きな袋を脇に置いて物思いに耽る「トーカイ」の姿をペーソス溢れるタッチで描いた水彩画が中心になっています。

街角のゴミ置き場、ビルに囲まれた公園のベンチ、道を隔てる塀、電信柱などに寄りかかる「トーカイ」のそばには多くの場合、カラスと野良犬がいます。とくにこのカラスが印象的なのですが、教授はカラスを描くのが得意らしく、昨年発刊されたバングラデシュ芸術奨励協会の「現代絵画集」にも、迫真のカラスの絵が船着き場を描いた水彩画などとともに収められています。ナビ教授については、昨年ダッカ大学芸術学部を初めて訪ねたとき、他の教授とともにお会いしたのですが、その時点では「トーカイ」の作者「ロノビ」と同一人物であることは知りませんでした。

同教授は、ナビの方は大学で学生に絵を教え、ロノビの方は世の中の矛盾を「トーカイ」を通じて人々に考えさせるという役割分担で、両者は全く別の人格であると述べています。しかし、「トーカイ」が、「世間の人々は些細なことをいろいろ問題にしているが、バングラデシュが独立して 33 年になるのに、これしか発展していないことを全く気にもしていない」と嘆くくだりがありますが、この嘆きはナビとロノビ双方の嘆きであり、さらに、「トーカイ」の大勢のファンの嘆きであろうと思います。

私は今度「トーカイ」に会ったら、この嘆きから一歩進んで、皆が小異を捨て一日も早い国の発展のため力を合わせるよう呼びかけるようお願したいと思っています。


【2】最近の日本・バングラデシュ関係

[これから]

● バングラデシュ開発援助勉強会(6月 13 ・ 23 日・ダッカ)

6月 13 日(日)午後5時より大使館にて、バングラデシュ開発援助勉強会・月例会が開催されます。テーマは(1)「バングラデシュ勤務を振り返って」(坂本 JICA 所長)(2)「バングラデシュの地方行政における予算制度と流れ」(萩原 JICA 企画調査員)です。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/040613flyer.html

また、6月 23 日(水)午後5時より大使館にて、バングラデシュ開発援助勉強会・特別編が開催されます。当地来訪予定の大野泉氏(政策研究大学院大学教授/開発フォーラム・プロジェクト担当)をお招きして、「援助モダリティとグッド・ドナーシップ〜援助モダリティ選択の基本的視点とバングラデシュの位置付け〜」について議論を行う予定です。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/040623flyer.html

大野泉氏の発表資料(現時点の案)をウェブサイトに掲載しました。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/doc/presen040623.doc

同テーマに関するウェブサイトは次の通りです。

http://www.grips.ac.jp/forum/gooddonorship.htm

● サイクロンシェルター署名式(6月 17 日・ダッカ)

6月 17 日(木)に大蔵省経済関係局にて、無償資金協力「第5次多目的サイクロンシェルター建設計画」署名式が、堀口大使とベッグ大蔵省経済関係局次官との間で行われます。チッタゴン、コックスバザールおよびノアカリ県のサイクロンの被災を受けやすい高度危険地域に 20 棟の初等学校兼サイクロンシェルターを建設し、被災の軽減、地域住民の生活改善を行うことを目的としています。

● 詩人白石かずこ氏とアミヌル・ラーマン氏による詩本の発表会・朗読会 (6月 17 日・ダッカ)

6月 17 日(木)午後7時 15 分よりショナルガオンホテルにて、詩人の白石かずこ氏及びアミヌル・ラーマン氏がそれぞれ相手の詩本を自らの母語に訳して出版した本の発表会及び詩の朗読会が開催されます。ご関心のある方は大使館広報文化班・河野まで電話又はメールにてお問い合わせください。

(電話 881-0087 内線 151 、 hidemi.kohno@mofa.go.jp

● アジアの写真家たち 2004 ・バングラデシュ展(5月 18 日〜6月 17 日・東京)東京写真月間 2004 協賛ギャラリーによる国際展「アジアの写真家たち 2004 ・バングラデシュ」が開催中です。ご関心のある方は下記のウェブサイトをご参照下さい。

http://www.psj.or.jp/gekkan/schedule/bangla.htm

[これまで]

● 日本トレードショー開催、日本・バングラデシュ商工会議所 (JBCCI) 設立(6月8〜 10 日・ダッカ)

6月8〜 10 日、ダッカ・シェラトンホテルにて、バングラデシュ初の「日本トレードショー」が開催され( JETRO 主催)、この機会に日本・バングラデシュ商工会議所 (JBCCI) 設立式も行われました。会場には 10 日午後までに約1万7千人が訪れる大盛況で、最初の2日間の成約額は少なくとも5千万タカ(主に自家発電機、織機、自動車)に上りました。

8日午前の日本トレードショー開会式/日本・バングラデシュ商工会議所

(JBCCI) 設立式には、カーン外相、チョードリー商業相、野島日本・バングラデシュ経済委員会委員長、ミントゥ・バングラデシュ商工会議所連合会 (FBCCI) 会長、住吉 JETRO 理事、ラーマン投資庁長官、 JBCCI 全役員、堀口大使他多数が出席しました。また、空手のデモンストレーションや琵琶の演奏も行われました。

http://www.jetro.go.jp/bangladesh/eng/link_files/opening_ceremony_schedule.html

堀口大使の挨拶では両国関係における民間セクターの重要性を強調しました。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/24sphjts&jbcci080604.html

8日午後に開催された「日本バングラデシュ・ビジネスフォーラム」では、双方の企業関係者を中心に、関係強化に向けて様々な提案が行われました。

http://www.jetro.go.jp/bangladesh/eng/link_files/forum_schedule.html

● バングラデシュ開発援助勉強会(6月2日・ダッカ)

6月2日に大使館にて、 20 名の参加を得てバングラデシュ開発援助勉強会が開催されました。冒頭、 UNDP のマーフィー氏より、当地ドナー調整グループ (LCG) ウェブサイトの活用につき説明がありました。

http://www.lcgbangladesh.org

引き続き、織田 JICA 企画調査員より、 IT 協力における国際社会のトレンドとバングラデシュ IT 産業の競争優位につき発表と議論がありました。同調査員による報告書は近日中にバングラデシュ・モデルのウェブサイトに掲載予定です。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/index.html

[おしらせ]

● 日本・バングラデシュ交流メールマガジン英語版の創刊

6月6日、日本・バングラデシュ交流メールマガジン英語版「 Japan-Bangladesh E-Bulletin 」を創刊しました。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/eBulletin/1e-bulletin060604.html

配信をご希望の方は、編集部までご連絡ください。

mail@embjp.accesstel.net

● 対バングラデシュ援助年間予定表

バングラデシュ・モデル(現地を中心とした開発援助関係者のネットワーク)の年間予定表 (Excel file) をウェブサイトに掲載しました。バングラデシュ政府の年間サイクル、バングラデシュ・モデルの行事、備考の3つに分けて、今後1年間のおおまかな日程を掲載しています。

http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/xls/annualplan04-05.xls


【3】特別寄稿「バングラデシュの『日本のバス』」

  (豊田通商・ダッカ駐在員事務所長:阿辺剛氏)

自家用車は勿論、鉄道網もまだ限定的なバングラデシュでは、全土への移動を可能とする唯一の交通手段として「バス」が国民の「足」となっています。昨今では道路整備も進み、更に日本等の援助で建設されたメグナ橋、ジャムナ橋、パクシー橋など大河を跨ぐ橋の開通により、東西南北を結ぶノンストップ長距離バスなども登場、バスを使えばどこの町・村へも1日で辿り着くことができるようになりました。

これらバスを見ると、多くがお馴染みの日本メーカーのロゴをつけています。しかし、あの独特なデザインと傷だらけのボデーを見て「日本のバスだ」と言って信じる日本人は少ないでしょう。ところが何を隠そう、長距離都市間バス(ダッカ〜チッタゴン間等)では8〜9割、市内 / 近距離運行のミニバスでも約3割が、「日本のバス」です。

但し「日本のバス」と言っても、完全な「日本製」ではありません。バスは、エンジンを含むシャシ(フレーム)部分のみ CKD (バラ部品)形態で日本から輸入され、当地でシャシ部分を組立てたところでバスオーナーに販売されます。バスオーナーはシャシを地元のバスボデー業者に持ち込み、希望のバスボデーを架装します。バスボデーは一般的に3〜5年が寿命となる為、大手バスオーナーは3年程度でバスを転売し、また新しいシャシを購入します。

一方、中古を買い取ったオーナーはバスボデーのみそっくり載せ替え(或いは修理・改良し)、再生します。バスオーナーは資金力に応じて何代目の中古バスを購入するかを決めればよく、こうして転売を繰り返しながらもバスはスクラップされることなく末永く使われます。 85 年に当地で輸入された日本メーカーのバスが最近まで走っていたのも事実です。

さて、上述のようなバスであることから見た目は「バングラ製」となるわけですが、どこの国でも大体バスの基本的な形は似ているものです。しかしバングラのバスは「何か」違います。

最近当地バスボデーメーカーと共に「バスの見た目改善」会議を行いました。その席で、日本側から「ヘッドライトの位置が高すぎ、ずんぐりむっくりな顔付きになっている。テールランプも屋根に近い位置で格好悪い」「サイドウインドーが家の窓みたい」との意見が出たのに対し、バングラ側からは「ライトの位置は、リキシャ、ベビータクシー、更に他のバスがぶつかってきても破損しないように高い位置につけないと、バスオーナーが納得しない。リアランプは手の届くところだと盗まれる」、窓については「石跳ねなどでよく割れる為、どこでも売っている物を採用しないと、これまたバスオーナーが納得しない(恐らく今主流なのは一般住居洗面所用の窓)」と、日本側の指摘を跳ね除けました。

ある意味、納得してしまいましたが、窓はともかく、あらゆる乗り物が「ぶつかる」ことが大前提なのはさすがバングラです。(日本からの中古バス完成車が当地であまり流行らないのは、こうした「予想される不測の事態」に対応できないのも一因です。)

しかし、最近ダッカ〜チッタゴン間では欧州ブランド(インド組立)の豪華バスが走り始め、バスオーナーからも、「見た目」や「旅の快適さ」を気にする声を聞くようになりました。近い将来、外国人でも「快適な」バスの旅ができる日がくるものと期待しています。

また、国策として CNG (圧縮天然ガス)バスの導入が推し進められる等、バス業界にも新たな動きが出ています。バスセクターの CNG 化は近隣アジアの天然ガス埋蔵国では以前より叫ばれておりましたが、具体化はインドに次いでバングラデシュが2番目でしょう。意外なバス先進国に成長するかもしれません。

最後に余談ですが、よく「アバビルナバナ」とカタカナで書かれたバスについて質問されることがあります。あれは上述「日本のバス」を使った最大手の民間「市バス」会社、「アバビル」社が運行するミニバスです。バスは全て 2002 年度以降日本から輸入した新車!(見た目は信じられないでしょうが・・・) バス販売代理店の営業担当者が日本での留学(?)経験を活かし、カタカナで「アバビル」のロゴを作成させました。ついでに代理店の名前「ナバナ」も入れてしまったのはご愛嬌ですね。


【4】駐バングラデシュ歴代大使の証言・第4回(第 12 代大使:小林二郎氏)

  「バングラデシュ:総選挙に思う」

ダッカを離れて一年になりますが、在任中の前半( 2001 年)は総選挙の年にあたり与野党の政権交代を目にし、また後半( 2002 年)は日本・バングラデシュ友好 30 周年を祝賀する機会に恵まれました。ここではバングラデシュの政治について感じた一端を記してみます。

「バングラデシュは何と政治色の強い国であろうか」というのが赴任した頃の率直な印象でした。全てが二大政党対立構造の中で捉えられる国柄に驚きました。

与野党対立の激しさ、あの銅鑼・太鼓をたたいての選挙キャンペーン、「人」を見ると常に「どちらの系統に属するのか」という目で見勝ちなのはどういうわけか。「バングラデシュは未だ 30 歳の若い国ですから」とか「 Winner takesall. という南アジア特有の政治力学が働いているからです」との説明を聞いても、実際に総選挙で政権が入れ替わり、政府の要職にあった官僚達の殆どが軍・警察を含め、2〜3ヶ月のうちに入れ替えられていくのを目のあたりにするまでなかなか信じられませんでした。「今日でお別れです」と言って次々と去っていく友人に複雑な思いを抱いたものです。

2001 年4月、ハシナ首相がラムナ公園での爆破事件で負傷した人を病院に見舞っている Japan Times の写真を目にしながら赴任したのを思い出しますが、当時既に選挙戦は終盤を迎え熱気を帯び、各地で爆破事件が相次ぎ与野党の非難合戦とハルタルによる攻防が繰り返されていました。

着任後の与野党首脳への表敬訪問でも、「日本からも選挙監視団を送ってほしい」との要望が出されましたが、正直言って個人的には若干戸惑いの感を拭えませんでした。それというのも「選挙は自分達で立派にできるから、外国からの監視団などは不要です。」というのが一般的な反応ではないかなと思っていたからですが、この点をバングラデシュの友人にぶつけてみると、「まだそこまでバングラデシュの民主主義は成熟していません。それまでには未だ時間がかかります。もう少し長い目で見てください。」とのことであり、自分の不明を恥じた次第です。

ハシナ政権は憲法の規定に則り7月の任期満了で退陣し、その後の選挙管理内閣を経て、 10 月1日に総選挙が行われました。結果は5分5分との事前の大方の予想に反し、議席数では BNP 野党連合の圧勝でした。尤も、得票率では互角でしたが、小選挙区制であるために、議席数では大きな差となったようです。

9.11 の余波で治安が懸念されましたが、結局わが国からは桜井新参議院議員(日・バ友好議連副会長/当時)を団長とする選挙監視団にお越しいただき、ダッカ市内と郊外で監視活動をしていただきました。自分も同行して幾つかの投票所を廻ってみましたが、女性の姿が目立ったことと皆整然と並んで投票している姿が印象的でした。桜井団長には「選挙は概ね自由且つ公平に行われた」との結論をいただき、記者会見で発表していただきました。 EU など他の諸国の監視団もほぼ同様の見解であり、これらの意見はその後の政権交代と政治に一定の役割を演じたものと考えます。

選挙結果の大勢が判明した選挙翌日、桜井団長は与野党の党首をそれぞれ自宅に訪ねましたが、両総裁とも快く応じてくれました。ジア総裁との会見は夜 10 時過ぎの遅い時間帯であったにも拘らず、「疲れた」と言いながらも笑顔でお会いいただいたのが印象的でした。

あれから既に2年半、現政権の任期も後半に入りましたが、再び選挙戦は昂じていくのでありましょう。 30 年で世の中は変わるとの説があります。そろそろ外国の選挙監視団など要らない選挙を立派に行い、自立した姿を世界に示して欲しいと願うものです。


【5】バングラデシュ名所案内・第5回「ラルバーグフォート訪問」

ダッカ市の旧市街を訪れるなら、前回紹介した「ショドルガット」とともにムスリム王朝の残した「ラルバーグフォート」の見学は欠かせません。美しく手入れされ季節の花が咲く庭園にはゴミ一つ落ちておらず、旧市街の喧噪も嘘のように静かです。家族連れや恋人達が楽しそうに集う様子を眺めていると、ほのぼのとした気分になれます。

ラルバーグフォートは 16 世紀から 18 世紀中葉のムガール王朝によるベンガル支配の時代を伝える数少ない歴史的建造物です。この城塞の建設はムガール帝国第6代皇帝アウラングゼーブの治世の 1678 年、皇帝の第3王子で 15 ヶ月間ベンガル大公の職を勤めたモハマッド・アゼムにより開始され、その後チッタゴンの攻略に大きな功績を残し、善政を行ったことで有名なシャイスタ・カーン大公に引き継がれました。しかし 1684 年に大公の娘、ビビ・パリ( Fairy Lady )が急死したため建設は中止されてしまいました。当時は南の城壁のすぐ横をブリガンガ河が流れていました。

ラルバーグフォートへは、当時未完成のまま放置された北門から入ります(現在の門は後に建設したもの)。現在見学できる建物は、入り口正面のビビ・パリ廟(ビビ・パリとその親戚と言われる女性の棺が安置されている)、向かって右側のモスク、左側の現在博物館として用いられている「ハマーム(浴場)」のある建物( Diwan-i-Aam )、フォートの南東(向かって左側の端)にある大きな城門、そこから西に延びる城壁と要塞の名残などです。

しかし近年の発掘調査により、このフォートには上下水道、噴水、屋上庭園などの設備が施された 26,7 の建造物が存在していたことが分かりました。当初の城壁は現在のシャイスタ・カーン・ロード以東にまで延びていたようです。南の城壁の北側には厩舎や行政事務所、西側には貯水池と結ばれた噴水や美しい庭園が存在したとされています。西の城壁の東側、モスクの裏側からは下水設備が多数発掘されており、住居は主にそのあたりにあったのでしょう。 Diwan-i-Aam の1階にあるハマームには当時、台所、オーブン、貯水設備、バスタブ、トイレ、脱衣所等がしつらえられ、ハマームの真下には水をわかす為の部屋や使用人の通路が造られていました。

ムスリムとヒンドゥーの建築様式が見事に融和したビビ・パリ廟の中央の部屋は総白大理石造りで、ビビの棺が安置された中央の部屋を囲む4つの角部屋には釉薬をかけた花模様の美しいタイルが埋め込まれていました(現在のタイルは模造されたもの)。

さて、私達がのんびり城壁の縁を歩いていると、博物館から管理人らしきおじいさんが出てきて「金曜はお祈りの為に、 12 時半から博物館が閉まります。閉まる前に博物館を見ませんか。」と勧めてくれました。私達が博物館にかけつけた頃にはもう扉に鍵がかかっていましたが、彼はその扉を開けさせ私達を中に招き入れてくれました。

私達はあまり彼を待たせてもいけないと、展示されたムガール時代の甲冑や食器、貨幣、絨毯、絵画、書簡等を足早に見て回り、お礼を言ってチップ( 30 タカ:1タカ=約2円)を渡そうとしました。しかし彼は固辞して受け取りません。しかし、それでも彼は私達とゲートまで歩く間中ずっと、自分の好意が如何に特別なものか何度も力説していました。きっと彼はこれまで外国人からもっともっと高額なチップをもらっていたのでしょう。(その 30 タカは結局、おじいさんと一緒だった青年に渡しました。)

開館日:日曜〜金曜(土曜休館)

    午前 10 時〜午後5時まで(但し、金曜日はイスラム教の祝日の為、

    午前 10 時〜午後 12 時 30 分、午後2時 30 分〜午後5時まで)

入場料:2タカ(パンフレットは 20 タカ又は5米ドル)

(大使館広報文化班・河野秀美)


● 本メールマガジンは、当地在留邦人の皆様及び希望者に送付しております。本メールマガジンの配信開始・変更・中止のご希望がありましたら、編集部までご連絡いただければ幸いです。
● 本メールマガジンに対するご意見・ご感想、今後掲載する記事・情報に関するご示唆等をお待ちしております。また、本メールマガジンの特別寄稿を執筆頂ける方を(自薦・他薦とも)募集しております。お気軽に編集部までご連絡いただければ幸いです。
● 編集部のメールアドレスは次の通りです。

mail@embjp.accesstel.net
発行:在バングラデシュ日本国大使館
Embassy of Japan (本館)
Plot#5& 7 Dutabash Road
Baridhara, Dhaka, Bangladesh
電話 (880-2)881-0087
FAX(880-2)882-6737
(別館/領事部)
House#NE(M)-1, Road#84
Gulshan, Dhaka, Bangladesh
電話 (880-2)881-2005
FAX(880-2)882-3670
http://www.bd.emb-japan.go.jp/

Copyright© Embassy of Japan in Bangladesh, Plot No. 5 & 7, Dutabash Road, Baridhara, Dhaka-1212.  Tel: +88-02-8810087