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日本・バングラデシュ交流メールマガジン ( 第2号・ 2004/03/04 )
? 日本とバングラデシュの橋渡しのために ?
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□ 目次 □
【1】堀口大使メッセージ
「バングラデシュと国民的アイデンティティー」
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●生け花コンテスト(3月5日・ダッカ)
●勉強会「バングラデシュの民主主義」(3月 14日・ダッカ)
●危機管理セミナー(3月 15日・ダッカ)
●開発援助勉強会「国際保健協力とバングラデシュ」(3月 17日・ダッカ)
●日本語弁論大会(3月 19日・ダッカ)
[これまで]
●オッディシェディポンコール生誕レセプション(2月 24日)
●開発援助勉強会「対バングラデシュ援助と国際機関」(2月 23日・ダッカ)
●ベンガル語スピーチコンテスト( 2月22日・ダッカ)
【3】特別寄稿「国際ヨットレースからストリートチルドレンへ」
(渡辺大樹氏/ダッカ大学在籍)
【1】堀口大使メッセージ
「バングラデシュと国民的アイデンティティー」
去る2月 24日、バングラデシュが生んだ世界的な高僧アティーシャ・ディパンコール(982−1054)の1022年の生誕記念式典が、生地ムンシガンジで行われました。同式典には主催者である同地選出のイスラム土地大臣、ハスナ・モドゥッド法務大臣夫人、7名の中国仏教代表団、スリランカ大使、安藤京都大学助教授、矢嶋JICA専門家、私ほか日本大使館員などが出席し、場外の見物者まで入れると1千人近い人たちが見守っていました。
文献に裏付けられたベンガル史は、4世紀インドの仏教王朝であるグプタ朝から始まりますが、7世紀初めに至りグプタ朝の下で最初のベンガル王ササンカが登場します。そして8世紀半ばベンガルを本拠地とした仏教王朝パーラ朝が興って 12世紀まで400年以上栄え、この間マハスタン、パハルプールなどの僧院で多くの仏僧が仏教を学びました。このパーラ朝は一時はベンガル、ビハールを中心に東インド一帯を支配下に収め、「ベンガルペディア」はパーラ朝について、ベンガル初期の歴史における最も栄光に満ちた時代であったと評価しています。オテイッシュはこの時代に活躍し、その高名ゆえにチベット王に招かれてチベットに渡り、チベット仏教中興の祖としての実績を残しました。
なお、 12世紀末パーラ朝に代わったヒンドゥー王朝のセーナ朝が13世紀前半まで1世紀以上続き、やがてアフガン、中央アジアなどから次々とやってきたトルコ系のイスラム諸王朝がベンガルを支配し、1576年にインドから来たムガール帝国のカーン・ジャハンがベンガルを征服しました。そして早くも17世紀半ばになると、英東インド会社がベンガルにも触手をのばし始め、19世紀半ばに英領インドの一部に編入されました。
バングラデシュの一知識人によれば、当国民のアイデンティティーは、ベンガル人であることとイスラム教徒であることの二つからなり、この双方を認めることによって、周囲の国民とは異なるバングラデシュ人としての固有のアイデンティティーが生まれるはずであるが、現状では、むしろアワミ連盟はベンガル人という属性を基礎にし、BNPはイスラム教を基礎にした政党として、それぞれの特性を過剰に強調して対立しているため、国民のアイデンティティーが二つの政党により真っ二つに引き裂かれた不幸な状況におかれているとのことです。
一方、当国の仏教徒の立場から見れば、上記の通りベンガル史における仏教王朝の期間はかなり長く、この時期を正当に捉えない限り、この国の歴史と国民的アイデンティティーを正しく理解することは難しいのではないか、また、調和を尊ぶ仏教やその他の宗教をも踏まえながら、イスラム教とベンガル人であることとの融合を図ることによって、はじめて真の国民的アイデンティティーの確立が可能となるのではないかという意見が出てきても不思議ではありません。
バングラデシュは近年東方外交を推進していますが、ベンガル史における仏教についての正しい評価は、東方の仏教諸国との関係強化に資することも予想されます。今回のアティーシャ・ディパンコールの生誕式典がその一助となるよう、私たちとしても心がけていけたらと考えています。
【2】最近の日本・バングラデシュ関係
[これから]
●生け花コンテスト(3月5日・ダッカ)
3月5日(金)午後2時 30分よりダッカ・モハカリのBRACセンターで、生け花コンテスト・デモンストレーションを開催します。セリマ・ラーマン文化大臣、堀口大使夫妻も出席予定です。詳細は次のウェブサイトをご覧ください。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/culture/events-ikebana.html
(3月3日のチッタゴンでの生け花コンテスト・デモンストレーションも多数が参加し大好評でした。)
●勉強会「バングラデシュの民主主義」(3月 14日・ダッカ)
3月 14日(日)午後5時より大使館会議室にて勉強会「バングラデシュの民主主義」を開催します。バングラデシュ・ベンガル語を専門としている大使館政務班長の藤田日出男参事官より、バングラデシュの民主主義の現状と今後の見通しを中心に説明し、出席者間で意見交換を行います。出席希望者は大使館までご連絡ください(電話8810087、電子メールmail@embjp.accesstel.net)。
●危機管理セミナー(3月 15日・ダッカ)
3月 15日(月)午後4時よりダッカ日本人学校(予定)にて、危機管理セミナーを開催します。危機管理専門家より安全・危機管理対策に関する説明が行われる予定です。詳細は追って大使館(領事部)よりご連絡致します。
●開発援助勉強会「国際保健協力とバングラデシュ」(3月 17日・ダッカ)
3月 17日(水)午後5時より大使館会議室にてバングラデシュ開発援助勉強会「日本の国際保健協力の課題は何か−バングラデシュでの取り組みへの示唆−」を開催します。外務省経済協力局調査計画課課長補佐で本分野の第一人者の一人である國井修氏より問題提起いただき、出席者間で意見交換を行います。出席希望者は大使館(山川)までご連絡ください。
(電話8810087 、電子メール yumiko.yamakawa@mofa.go.jp)。
●日本語弁論大会(3月 19日・ダッカ)
3月 19日(金)午後3時から午後5時までBRACセンター(モハカリ)にて、ダッカ日本語教室・ダッカ大学現代言語研究所日本語学科共催、日本人会・大使館後援により、毎年恒例の日本語弁論大会が開催されます。詳細はブイヤン・和子校長まで(電話8110318)。
[これまで]
● アティーシャ ・ディパンコール生誕 1022年祭(2月24日・ムンシガンジ)
つきましては、上記の【1】堀口大使メッセージをご参照下さい。また、堀口大使は次のスピーチを行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/07sphatisha240204.html
●開発援助勉強会「対バングラデシュ援助と国際機関」(2月 23日・ダッカ)
2月 23日に大使館にて、当地国際機関邦人職員4名をお招きして、「対バングラデシュ援助戦略と各国際機関から見た日本のODA」というテーマで意見交換を行いました。資料等は次のウェブサイトに掲載しています。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/index.html
●ベンガル語スピーチコンテスト( 2月22日・ダッカ)
2月 22日、ダッカ大学TSCホールで、帰国留学生会(JUAAB)・大使館共催による外国人によるベンガル語スピーチコンテストが開催され、立ち見が出るほどの大盛況でした。日本人の部の優勝者は渡辺大樹さん(ダッカ大学在籍)でした(本号特別寄稿執筆)。第2部のカルチャー・プログラムも大好評でした。本プログラムに快く参加して下さった皆様方には、この紙面をお借りして厚く御礼申し上げます(広報文化班)。
堀口大使からは次の挨拶を行いました。
http://www.bd.emb-japan.go.jp/en/embassy/speeches/06sphjuaab220204.html
帰国留学生会( JUAAB)のウェブサイトは次のとおりです。
http://www.juaab.org
【3】特別寄稿「国際ヨットレースからストリートチルドレンへ」
(渡辺大樹氏/ダッカ大学在籍)
(渡辺さんは帰国留学生会( JUAAB)・大使館共催の「外国人によるベンガル語スピーチコンテスト(2月21日、於:ダッカ大学)」で見事優勝されました。今回の特別寄稿はその時にベンガル語で話された内容を元に書いて頂いたものです。)
2001年12月、当時大学4年生でヨット部に在籍していた私、渡辺大樹は、最後に国際ヨットレースに出場する機会を得て、その開催地であるタイに行きました。
これがそもそものきっかけでした。
ヨットというスポーツの性格上、周りは世界中から集まった大金持ちばかりで、そのため毎日豪華パーティーが開催され、移動もまた超豪華2階建てバスという生活、これが1週間以上も続きました。その何日目でしょうか。いつものようにレースを終え、2階の窓際に座りバスで移動していた私の目に、脇に広がる巨大なスラムが目に飛び込んできました。そしてスラムの入り口のところで、こちらを見上げているみすぼらしい格好をした男の子。その彼とふっと目が合ったのです。そのとき大きな、大きな衝撃が私の中を突き抜けていきました。
‘なぜ俺はこんな豪華なバスから彼を見下ろしているのだ?'
‘なんであの子はあんなみすぼらしい格好で俺を見上げているのだ?'
‘俺は努力に努力を重ねたわけでもなければ、あの子は怠け人生を放棄したわけでもない。'
‘たまたま日本に生まれた俺と、たまたまタイのスラムに生まれたあの子。ただそれだけ。それだけでついてしまうこの差。自分は自分次第でなんにでもなれた。気が遠くなるような選択肢が目の前にあったのだ。でもあの子は・・・。タイのスラムで生まれた瞬間にほとんど選択肢が残されていない。頑張っても、いくら努力しても抜けられない、まるで蟻地獄・・・。'
そしてそれから一年後、一年経ってもあのときの衝撃は消えるどころか日に日に大きくなり私を突き動かしつづけました。そしてこの衝撃を形に変えたい、そう決意しやってきたのがバングラデシュでした。
幸運にも、バングラデシュ人の中でも同じように何かしなければという強い信念と行動力を持った仲間たちと巡り合い、彼らと経験の共有と議論を重ね、特にストリートチルドレンに対する活動をはじめる決意をしたのです。
私たちはストリートチルドレンと聞くと‘路上で生活しているかわいそうな子供たち'、というひとつのイメージで捕らえがちですが、実はそうではなくさまざまな子供たちが存在するのです。私たちがこのプロジェクトで取り上げている路上娼婦の子供たちというのは、その中でももっとも悲惨な立場に置かれているグループのひとつといえるでしょう。なぜなら彼らは小さいころから父親の愛情を受けずに育ち、母親の職業のせいで差別される。また、夜中に起きた子供が隣で母親が仕事しているところを見つけてしまうこともあるのです。
考えてみてください。このような環境でいったい誰がまともな大人になれると言うのでしょうか。彼らの失いつつある意欲をかき立てるため、人間として生きる希望をもたすため、そして彼らに自分の手で未来を切り開く勇気を与えるため・・・私たちは活動をはじめたのです。
私は夢見ています、いつか彼らが一人の人間として社会から正当に扱われる日がくることを。
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